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くれないづきの見る夢は 紅い涙を流すこと 透明な血を流すこと 孤独にのまれず生きること
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 ジープのいつもの席。
 山の中を走っていた。
 曇って湿気を帯びた風。気温が高くないせいか…心地好い。
 流れる風景をぼんやりと見ていた。
 新緑の山々が背後へと流れる。
 その中に、薄紫が交じった。
 藤、だ。
 遠くの山に視線を送ると、山の一角が藤色に染まっている場所があることに気づく。

 綺麗な紫だ。
 優しい…色…知り合ってすぐの頃…百眼魔王の城跡で八戒のために経を上げたあの時の三蔵の瞳の色を思い出した。

 あれから、どれだけの時間が経ったのだろう…たまに見せる、三蔵のその瞳の色を俺は…ずっと追いかけている…。




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 八戒が珈琲を淹れる背中をぼんやりと眺めていた。
 こうして旅に出るまでは、その背中はずっと俺だけの物だったのに……。

 小さな村の湯治者向けの宿舎。ちゃんとした宿をとることは出来ず、俺たちは野宿よりはましだから、とそこへの宿泊を決め、八戒の手料理での夕飯を終えたところだった。
「八戒、珈琲」
 三蔵がさも当たり前のように言い、八戒もそれへ当たり前のようにキッチンへと立つ。

 今、言うぞ…今……。
 八戒はそれが当たり前とでも言うように人数分の珈琲を淹れると、俺の方を見て言った。
「悟浄も珈琲、飲みますよね?」
 一応、問いの形を作っているけど、それはあくまで確認のため。断られるとは思ってもいないその笑顔に俺は言った。
「いんや、いらねぇ…」
 俺は立ち上がって、与えられた部屋へと向かった。
「悟浄……?」
 どこか寂しげな困ったような八戒の声を無視した。

 部屋は…殺風景で、小さなベッドが二つあるだけのツインルーム。
 持ち主の性格を表すように、綺麗に並べられた荷物の置いてあるベッドを横目に、自分に与えられたベッドに身体を投げ出すようにして転がった。
 横になったまま、煙草に火をつける。
 自分でも大人げないと思う。
 けど、気がつくと俺はいつも、誰かのついで、という扱われ方をしているような気がして…あいつは俺のこと、どう思ってるんだろう、って不安になる。
 あいつを拾って…一緒に住むようになって……いつしかお互いに相手を特別な存在だと思うようになって……。
 でも、あいつにとって俺は…特別な存在ではなかったんじゃないかって…。俺にとっては、いつでも特別な存在だったのに……。

 三蔵が珈琲を頼めば「悟浄“も”飲みますよね?」、悟空は何か食い物をねだれば「悟浄“も”食べますよね?」
 必ずついて来る、「も」という一文字。俺“が”どうしたい、とか、俺“に”どうして欲しい、とか…そんな言葉は旅に出てから聞かなくなったような気がする。
 八戒の中での俺の位置は一体どこにあるんだろう…。

「悟浄?」
 部屋に入ってくる八戒の気配を無視して俺は目を閉じた。
「大丈夫ですか、悟浄…?」
 傍に寄って来る気配。ひんやりと冷たい八戒の手が俺の額にあてられる。
「…熱があるわけじゃないみたいですね…」
 少し安心したような声。
 俺は、離れようとした手首を掴み勢いをつけると、八戒の体をベッドに組み敷いていた。
「悟浄…!」
 驚いたように見開かれる、翡翠の瞳。暴れだしそうな気配に俺は八戒の体の上に馬乗りになってその動きを封じる。
「お前さ…俺と三蔵、どっちが大事なわけ?」
 思いがけず、絞りだすような声になったことに俺自身驚いたが、それは八戒も同じだったのだろう、暴れていたその身体が動くことをやめて、その瞳がまじまじと俺を見つめた。
「…なぜ、そんなことを…?」
 力の抜けたその身体を押さえつけることをやめ、俺は言葉を捜す。けれど、その場にふさわしい言葉はいくら考えても思いつかなかった。
 八戒の目が優しく微笑むように眇められる。そして…俺に乗られたままの動きにくい体勢で腕を伸ばすと俺の身体を抱き締めて…そして笑った。
「僕には誰もが大事ですよ? 三蔵は僕を生かしてくれた人だし、悟空はいつでも僕に元気をくれる…。でもね、悟浄? 貴方は…特別なんです。行くところのなかった僕に、僕の為の居場所を用意してくれた…貴方は…それ以上は言わなくても…わかってくれているんじゃないんですか?」
 さらにくすくすと笑う八戒は、俺の額に軽く口付けを落としてポツリと呟いた。
「嫉妬してくれるなんて…嬉しいですよ、悟浄…」

 それが嫉妬だったのかなんなのか…その夜、俺は八戒を思う様抱き…そして、ついでのように扱われても、二人きりになれば二人で過ごしていたあの頃のように恋人でいられるのだと知った。






「あ~…!」
 悟浄が食後の一服をしようとして、唐突に素っ頓狂な声をあげた。
「どうしました、悟浄?」
 八戒が悟浄の情けないような声に何事かと聞く。
「煙草が、ねぇ…」
「おやおや…」
 八戒は苦笑いをすると立って食堂のレジへと行き、何か聞いてきた。
「この店には煙草は置いていないそうです。それから…小さな村なので、コンビニもないと…。明日の朝、お店が開くまで禁煙ですね、悟浄」
 くすくすと笑いながら言う八戒を悟浄は睨み付けたが、こればかりはどうしようもない。
「なぁ…さん…」
「やらん」
 全部を言う前に言下に断られてしょげて見せるが、結果は変らずで、悟浄は不貞腐れたように最後の煙草に火を点けた。

 食堂を出て、宿へ向かう途中。イライラしながら歩いていた悟浄は自動販売機を見つけた。
「やった、自販機あるじゃん…助かったぁ…」
 走るようにして自動販売機の前に行くと、ポケットの中を探って小銭を入れ、くすんだ水色の煙草のボタンを押す。
『タスポをタッチしてください』
 無表情な女性の声。悟浄は軽く首をかしげ、もう一度ボタンを押すが、同じアナウンスが流れるだけ。
「なぁ、八戒…タスポってなんだよ……」
 その頃になってようやく追いついてきた三人に向かって情けなさそうな顔をした悟浄が、一番物事に精通していそうな八戒に向かって困り顔で聞いた。
「成人識別カード、ですか…。煙草とパスポートをかけて、タスポ、と言うらしいですね」
「持ってる?」
「僕が、ですか? あるわけないじゃないですか、僕は煙草吸いませんから」
 ニッコリと笑って言われればその通りで。今度はその視線を三蔵に向ける。
「必要ねぇもんは持たねぇ」
 いつもの不機嫌な表情で、これ見よがしに煙草の煙を悟浄に吹きかけた。
「三蔵、お前な…わざとやってるだろ…」
 じろり、と睨んでも三蔵は知らん顔で煙草を吸い続けている。ちょっと縋りつくような視線を悟空に向けるが、ため息をついて諦めたように返金ボタンを押した。
「悟空は…成人じゃねぇもんなぁ…」
「悟浄、ここに申し込み用紙ありますよ?」
 目ざとく自販機に備え付けられている用紙を発見した八戒が手に取ってみる。
「写真と…身分証明書が、いるみたいですね…」
「おい、宿に帰るぞ」
 用紙を前に話し始めようとする悟浄と八戒に声をかけて歩きだす三蔵を悟空が追って行き、八戒はその用紙を持ったまま、後を追う。
 悟浄は暫く恨めしそうに自販機を眺めた後、仲間の後を追った。

 4人部屋で落ち着くと、八戒と悟浄は改めてタスポの申し込み用紙に目を通す。
「写真はいいとして…身分証明書? 俺、住民票なんてあったかな?」
 困惑したように悟浄は呟く。手が無意識に煙草を探り、ないことに気付くと舌打ちをした。
「八戒は? 免許とか持ってるんだろ?」
「僕は、無免許です」
 しれっと言う八戒。
「車なんてこの桃源郷じゃ見かけないじゃないですか。当然、自動車学校もないですし、免許センターもないでしょう?」
 言われればその通りなのだが、あまりに悪びれない様子に悟浄はため息を吐いた。
「大体さ、その身分証明書ってなんなんだよ?」
 悟空が二人の手元を覗き込んで聞いた。
「免許証、保険証、年金手帳、住民票、などのことですね」
「俺達には縁のないモノのような気がする…」
「僕らの中で持ってそうなのは…」
 一人、我関せずで新聞を読んでいる三蔵に三人の視線が向く。
「三蔵と悟浄のために、一枚持っていると便利なんですけど、ねぇ。ねぇ、三蔵?」
 八戒が立ち上がって申し込み用紙を持ち、三蔵の前に立つ。差し出された用紙を一瞥した三蔵は、悟浄に見せびらかすように新しい煙草に火を点けると、ふん、と鼻を鳴らした。
「必要ねぇ…。だいいち、こんなところで二週間も足止め食らってたまるか」
 最後の一行に目を留めた三蔵が切り捨てるように言ってそれ以降は取り付く島もなく、話は立ち消えになってしまった。

 それから暫く後…。
 またまた小さな村に滞在した一行。
 遅くに到着して、閉店寸前の食堂でやっと食事にありついた後のこと。
「……八戒、煙草を寄越せ」
 食後の一服、と袂を探った三蔵が煙草のないことに気付き、八戒に声をかけた。
「…夕方にお渡ししたので最後だって、言いませんでしたっけ?」
 困ったような八戒の顔に小さく舌打ちをして、三蔵は悟浄に手を出す。
「おい、河童。お前の煙草で我慢してやる。出せ」
 しょうがねぇなぁ、と思いつつそれを声には出さずに悟浄は三蔵に煙草を一本渡す。
 黙って火を点けて、一口吸った三蔵は一言…。
「…まずい…。八戒、煙草、買って来い」
「お前なぁ…」
 じろりと睨む悟浄を無視して三蔵は八戒に命じるが、近くにコンビニもなく、店にマルボロは置いていないと言われ、八戒は苦笑してそれを告げる。
「……宿に行くぞ…」
 宿のフロントにあるのではないか、と微かな望みがその声に聞こえ、三人の従者は苦笑して立ち上がった。

 宿へ行く道の途中。
「お? 自販機があるぞ、三蔵、マルボロもあるみてぇだ…」
 目敏く悟浄が見つけ、声をかける。
「八戒、買って来い」
 三蔵に言われ、八戒は自販機に向かった。
『タスポをタッチしてください』
 聞き憶えのある、無表情な女性の声。
「三蔵…」
 大きくため息をつく三蔵に八戒は苦笑する。

 三蔵一行がこの小さな村に二週間滞在したことは想像に固くない。






 ざあざあという音に、意識が徐々に覚醒する。
 目を閉じたまま隣にあるはずの温もりを探し、その手が空を彷徨うのを不審に思い、悟浄はようやっと眼を開けた。
「…八戒…?」
 眠りについてそんなに時間は経っていないのだろう。外はまだ、暗い。
 ベッドの上の明かりを灯し室内を見回すが、自分の探す相手は見つからず、脱ぎ散らかした服もそのままに、八戒のシャツだけが消えていた。
 妙な胸騒ぎを感じて、悟浄はベッドから出る。投げっぱなしのジーンズだけを身に付けて、彼は狭い家の中、八戒の姿を探して歩いた。
 八戒のベッドルーム、風呂場、トイレ、リビング…。
「お~い、八戒~」
 キッチンに灯りが点いているのを見つけ、悟浄は間延びしたような声で八戒を呼びながらそこに足を踏み入れる。
「!! 何やってるっ!」
 小さいけれど良く切れるペティナイフを持ち、八戒はまるでそれに魅入られたかのように笑みさえ浮かべて刃先を自分の咽喉元に突きつけようとしているところだった。
 自分に走り寄る悟浄など見えないように、八戒の手は確実にみずからの命を奪う行為を遂行しようとしている。
 叩き落とすほどの間もなく、悟浄はナイフの刃を握り締めて八戒の頬を叩く。
 パンッ!
 痛みよりも思った以上に響いた音に八戒は驚いたような顔をして、はじめてそこに悟浄がいることに気付いたように焦点が徐々にあってゆく。
 ナイフを握った手に、生暖かいぬるりとした感触。紅く…紅く染められるその手に…八戒の体が震え出す。
 お互いが握ったままのナイフを八戒の咽喉元から離すように下ろさせ、悲鳴の形に開けられた唇を、悟浄は自分のそれで塞いだ。
 八戒の悲鳴を飲み込むようにキスを繰り返し、ナイフを握っていない方の手で背中を宥めるように軽く叩いてやる。
 暫くすると強張っていた身体から力が抜け、八戒は握っていたナイフを手放し、その場に座りこんでしまった。
 項垂れたまま座りこむ八戒を横目に悟浄はナイフをシンクに投げ出すと、手近にあったフキンで怪我をした掌をきつく縛って応急処置をする。
 それからキッチンペーパーを取って八戒のそばに戻ると自分の血で汚れた彼の手を拭いてやり、無理矢理に立ち上がらせて椅子に座らせた。
 雨音がざあざあと耳につく。暫く無言で何も置かれていないテーブルを見つめていた八戒が急に思い出したように顔を上げた。
「…悟浄…すみません…大丈夫ですか?」
「そりゃ、こっちの台詞だっつーの。お前が雨の日になると鬱になることは知ってたけどさ、なんでいきなりあんなことを…」
 まっすぐに見つめる悟浄の瞳を見返して、それから、つい、と目を逸らし、八戒は呟く。
「わかりません…」
「わからねぇ、って…お前、自分の命を捨てようとして、その理由もわからねぇ、っていうのかよっ!」
 自分に向けられる刃なら撥ね退けられるし、その思いがわかれば甘んじて受け入れることもできる。事実、もう記憶の彼方になってしまった過去、自らその刃を受け入れようとしたことも、悟浄にはあった。
 けれど、その刃を自分に向ける相手には、どうしてやればいいのか皆目検討もつかない。ただ、無性に悲しく感じるだけだ。その悲しみが、荒い語気となって吐き出される。
「…幸せだから、なのかもしれません…」
「………は?」
 呟いた八戒に、悟浄は思わず間の抜けた声で聞き返す。そして、それが八戒の死にたくなった理由だと気付き、愕然とした。
「な…んで…?」
 八戒を拾ったあの日から、魅せられていたのは間違いなく自分だ。だから、八戒が過去に飲まれないように、苦しまなくて良いように、いつもそれだけを考えて、包みこんできた。なのに、そんな悟浄の心さえ、八戒は苦しいと言うのだ。
 ざあざあと雨の音だけが二人の空間を埋める。
「…悟浄…。僕は、ここに居てもいいのでしょうか…。ここで…こうして…生きていてもいいのでしょうか…」
 どこか縋りつくような目をして、八戒は悟浄を見上げた。
 ここが地獄じゃなくて残念だったな……そう言った悟浄の言葉に驚いたような顔をして見せた八戒……それで良かったのだと、薄く笑って見せたその顔が…悟浄の脳裏をよぎる。
「…お前さ…死にてぇの?」
 縋られることを拒むかのように、悟浄は視線を逸らした。手を差し伸べるのが怖かった。
「わかりません…それすら…」
 自分が何故生きているのか…どうしてあの時に死んでしまわなかったのか…その答えを与えてくれるのは目の前のこの紅い色を持つ男なのだとでも言うように、八戒は悟浄を見る。
 苦しげに見つめるその視線が痛くて、悟浄は八戒を見る。
「…生きてるの、苦しい…?」
「苦しくは…ないんです…。だから…余計に辛いのかもしれませんが…」
 ふい、と今度は八戒が視線を逸らせた。
「僕は生きて…もっと苦しむのだと思っていました。なのに…僕に待っていた世界は…こんなにも……」
 ふっと落とした八戒の視線は自分の手を見つめている。血塗られた、その手。拭いきれなかった悟浄の血が、掌にまだその赤みを残している。
「ここが、地獄の方が良かった?」
 悟浄が八戒の肩に手を置いて自分を見るように促し、その瞳を覗き込むようにして問う。
 揺れる瞳の色が、その答えを如実に物語っていた。
 地獄のような責め苦が待っていてくれた方が、八戒にはきっと救いだったのだろう。それを…裏切ったのは自分だ、と悟浄は思う。
「ここは…地獄だから…」
 儚く揺れる瞳を見るのが辛くて、悟浄は八戒を抱きしめる。
「お前を…じわじわと責める…生ぬるい…幸せと言う名の…地獄…だろ?」
「…悟浄…?」
 戸惑うような八戒の声に悟浄はその抱きしめる腕の力を強めた。
「だからさ…この世の地獄…俺と一緒に生きてくれよ…」
「悟浄…」
 八戒はおずおずと悟浄の背中に手を回す。
「はい…悟浄…」
 思いのほかしっかりと抱き返されたことに驚いた悟浄は、抱きしめた手を自分の顔に持ってきて鼻の頭を掻いた。
「あの世の地獄に行く時は…一緒に行くから、さ…」
「…それは…」
 悟浄の言葉に驚いたように身体を離す八戒をさらにしっかりと抱く。
「そうさせてくれ…これは…俺の我侭かもしんねぇし…口約束だけだ、って言われたらそうかもしんねぇけど…この世でお前を付き合わせるんだ。それくれぇのこと、させてくれよ…な?」
「…はい…」
 外は雨が降っている。悟浄は八戒の肩に腕を回して、引きずるように歩きだした。
「まぁだ暗いし、もう一回寝ようぜ」
 ベッドまで向かうその廊下は…二人が歩く地獄の道。
 それでも…幸せな、道。
 地獄まで…二人一緒に……。





「行こうぜ」
 八戒に手を差し伸べて悟浄が誘う。
「雨、降っていますよ?」
 いつもの笑顔で、それでも、どこか辛そうな表情を浮かべた八戒は窓の外を見て躊躇うように言った。
「だから、さ」
 乗り気になれないらしい八戒の手をひいて立ち上がらせると、悟浄は先に立つようにして、玄関の戸を開け、八戒が自分の隣に立つのを待つ。
 期待に満ちた、どこか悪戯っ子にも似た表情で見つめられ、八戒はしぶしぶと言った様子で、傘を手に悟浄に並んだ。
「傘は…」
「ささないのなら、出かけませんからね」
 いらない、と言おうとした言葉を全部言わせず、八戒が悟浄に押し付けたのは淡い翠のビニール傘。八戒が手にしているのは、色気のない透明のそれ。
 バタバタと雨が傘を叩く音に顔を顰め、それでも、自分を包む色が八戒の瞳と一緒なことが嬉しくて、悟浄は機嫌の良さそうな笑顔を浮かべる。傘をさし、ぼんやりと雨粒が傘に落ちる様を眺めている八戒の腕を取り、彼が何かを言うのも構わず、悟浄は歩き出した。
「どこに行くんですか…」
 引っ張られながら、八戒はようやくそれを口にする。行き先も告げられず、ただ、出掛けようと言われて家を出たものの、悟浄が向かった先は彼らが普段行く町とは反対の方角で、そちらに行っても、その道は小さな池で行き止まりになっているはずだ。
「どこでもいいのよ、お前と一緒なら」

 行き止まりの池。雨の波紋を眺めて、二人は暫く傘を叩く雨の音に包まれる。
 八戒が見ているのは…聞いているのは…忘れる事の出来ない、重すぎる過去。
 悟浄が見ているのは…聞いているのは…
「俺…兄貴がいるんだわ…」
 雨音にかき消されそうな小さな声。自分の思いに沈み込みそうになっていた八戒は正気に返ったように悟浄を見る。
 あんな町外れの家に一人でいるから天涯孤独なのだと思っていました…言いかけた言葉を飲み込む。
「もっとも、生きてんだか死んでんだか…わかんねぇんだけど、さ…」
 思い出すのは、自分を死ぬほど殴った母親と、彼女を慰める兄の背中。母親の女の声と…ベッドの軋む音…。それが何を意味するのかわからないほどには子供ではない自分が居たたまれなかった。いつも、薄汚れた毛布に包まって耳を塞ぎながら、雨が降るのを待っていた。雨音はすべての音を隠してくれるから…。
 誰にも言ったことのない、言えない思い。
「俺さ、雨に濡れんの好きだって言ったことあるよな?」
 何かを吹っ切るように悟浄がことさら明るい声で言う。
「え? ええ…」
 急に振られた言葉に八戒は少し戸惑ったように返事をする。
 バタバタとうるさく傘を叩いていた雨が少し小降りになり、パタパタと可愛い音になったのを聞くと、悟浄はさしていた傘を畳んで八戒に投げ、雨を落とす空を見上げて目を細めた。
「悟浄?! 濡れますよ…」
「いいんだよ、濡れたって。好きだ、って言ったろう?」
 悪戯っ子のように笑って自分を見る悟浄の目が、少し潤んでいるような気がして、八戒は、はっとする。
「…悟浄?」
「雨ってさ…あったけぇと思わない?」
 心配そうな表情をした八戒から自分の顔を隠すように、悟浄はプイ、と背を向けた。
「暖かい?」
 悟浄の言っている意味が理解できないのか、八戒は同じ言葉で問い返す。
「そう。すごくあったけぇの。聞きたくない音を消して…」
 聞きたくない音…声…自分が屠ったたくさんの命の断末魔…かき消された…記憶…なのに、彼女の…花喃の小さな小さな自分に向けられた囁きは、彼女が自分でナイフを刺したその音は…消えなかった…。
「それにさ…」
 八戒がそうは遠くない過去を思い出して、その中に沈み込みそうになることに気付いてか気付かずか、悟浄は言葉を続ける。
「俺自身の嗚咽も…涙も…隠してくれる…」
 ずっとずっと…いつも泣きたい子供時代を過ごして来た自分。泣いてはいけないと禁じてきた自分。泣きたい気持ちが高まると…毎日毎日、空を見あげてきた…自分。雨が降ると、その中に飛び出していって、兄が迎えに来るまで、一人泣いていた自分…それでも、泣いてなどいないと、言い張っていた自分…。

 ただ…雨だけが自分を包みこんでくれたのだ、と悟浄は語る。

 それから、八戒の元につかつかと歩み寄ると、彼の手から傘を奪った。
「悟浄!」
 驚きで拒絶することも出来ず、傘を奪われた八戒も悟浄と一緒に、雨に包まれる。
「返してください」
 悟浄は、取り返そうとする八戒を軽くいなして畳んだ二本の傘をすぐには手の届かない場所まで放り投げ、取りに行こうとする彼の手首を掴んで、自分の側に引き寄せるとその身体を抱き込んだ。
「…泣けば?」
 囁くように悟浄は言う。
「ずっとずっと我慢してるお前を見るの…俺だって辛いんだ…。それでも、泣けないってんなら…昔の俺みたいに…雨の中、泣けば? 兄貴みたいに、お前の場所はここだって、俺が迎えに来てやっから…無理なんかすんなよ」
「僕は…無理などしていません…離してください、悟浄…」
 こうやって、暖かく包まれる資格など自分にはないのだから…雨にも、もちろん、悟浄にも…。
 それでも、言葉でしか拒絶できないのはそこがとても居心地が良くて、離れたくはないと思う自分の心の弱さだと、八戒は痛いほどに自覚していた。
「だぁめ…」
 悟浄は額を八戒に押し付けるようにしながら、それだけを言う。その声が少し涙ぐんでいるように感じられて、八戒は恐る恐る手を彼の頭にあてて、撫でた。
「…泣いているんですか? 僕の、ために…?」
 八戒の言葉を否定するように、悟浄の頭は左右に振られる。
「泣いてる…さ…」
 けれど、彼の口から漏れる言葉は肯定で…。八戒は、悟浄を抱き返していた。
「…泣いてる、けど…お前のため、じゃねぇ…よ…」
 それは嘘だった。愛を知らない自分より、愛を知って失った八戒の方がどんなに苦しかったか。自分よりも重い物を持って、それでも強がって歩き続けようとする八戒の心がどれだけ痛いのか。変われるものなら変わってやりたいと、その重荷が半分になるのなら一緒に背負ってやりたいと…思っても、それを口に出しても、きっと拒絶するだろう八戒の心の闇を知っていて、悟浄は泣いていた。
「…お前のため、じゃねぇけど…お前のせい、かもしんねぇ…」
「悟浄…?」
 言われている意味がわからなくて、八戒は悟浄の身体を引き剥がすようにして、顔を覗き込む。
「お前と出会えて、一緒に生活して…今まで一人だった自分がなんだか信じらんなくて…きっと…嬉し泣きだ」
 泣きながら、悟浄は笑って、八戒を見た。
「今は、さ…お前はここで悲しみの涙を流してればいいと思う。でもさ、いつかは…俺と一緒に嬉し泣き、してくんねぇかな?」
 誰かのために、ましてや八戒のために泣くことなんて出来ないから…だから、笑っていたいと思う。いつか、一緒に嬉し泣きが出来るその時まで…。
 八戒は雨を落とす空を見上げる。その瞳は、眼鏡のレンズに隠されてはっきりとは見えないけれど、彼もまた、泣いていた。
 悟浄はその肩に腕を回し、ちょっとその顔を見やってから、自分も空を降り仰ぐ。
 二人、並んで肩を組んで…空を見あげ…雨が止むまで、ずっと泣いていた。
 




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