くれないづきの見る夢は 紅い涙を流すこと 透明な血を流すこと 孤独にのまれず生きること
Category:最遊記
タバコの匂いの染み付いた布団に包まれて、八戒は目覚めた。
ぼんやりと見あげると、心配そうな顔をした悟浄と目があい、うっすらと微笑んで見せる。
「ったく。具合が悪いならそうだと言えよな。心配すんだろうがよ」
ぶっきらぼうに言う悟浄の身体は雨に濡れた服をいまだ纏ったままだ。
「…ああ、僕…倒れちゃったんですね…」
雨に塗り込められた記憶の中で溺れそうになって、悟浄に抱きしめられて意識を手放したのだと思い出す。
「いつからだよ」
ポケットから取り出したタバコに火をつけようとしてそれが濡れていることに気付いた悟浄は、舌打ちをしながら買い置きのタバコに手を伸ばした。
「何が、です?」
起き上がりかけて、体に力が入らないと知った八戒は、もう一度頭を枕の上に戻しながら、そんな悟浄の様子を見ていた。
「熱…いつからあった?」
人のことはとやかく言うくせに、自分のこととなるとまったく無頓着になる同居人に悟浄は咎めるような視線を投げる。
「さぁ…? あなたを送り出したときには…なかったと思うんですけど…」
八戒を蝕む心の闇はその身体にまで変調をきたすほどのものなのか、そう思うと悟浄はやるせなく感じてしまう。本当に放っておくと、八戒は寂しさで死んでしまいそうで、それを恐ろしいと思った。
孤独で人は本当に死んでしまえるのではないか、と八戒は改めて実感した。
二人の間に沈黙が落ちる。ざあざあと煩いくらいに雨の音が聞こえている。
「悟浄…?」
沈黙を嫌うように八戒が声をかける。
「なんだ?」
短いけれど、確実に返ってくる声に安堵して、それから、何を言うべきか考えた。悟浄が八戒の次の言葉を待って、タバコの煙をことさらゆっくりと吐き出す。
「着替えないんですか? 風邪、ひきますよ?」
ぽたぽたと水滴さえ落ちそうなほど濡れて悟浄がそのままでいるのに、八戒は心配そうに声をかける。
「そんな、ヤワじゃねぇよ」
悟浄はニヤリと笑ってみせる。
ガキの頃から、雨に濡れるのには慣れている。泣きたい気持ちが溜まってくると、雨が降るのを待って、いつも外に出た。水滴が、涙を隠してくれるから、雨音が、嗚咽を消してくれるから…。
そんなこと、誰にも話したことはないけれど…いつか、八戒になら話してもいい、そんな気になっている自分に悟浄は少し驚いている。
「でも…二人で寝込んじゃったら、目も当てられませんよ?」
八戒がそれでも心配そうに言いながら起き上がりそうな気配を見せたので、悟浄はもう一回おどけたように笑って見せた。
「お前が、寝たら、な。シャワーでも浴びるさ」
それでも、髪からぽたぽたと落ちる水滴は煩いのだろう、手近にあった脱ぎっぱなしのTシャツで髪を拭った。
相変わらず、雨は降り続いている。
寝たふりでもして、悟浄にシャワーを浴びさせた方がいいのかもしれない、と思いつつ、八戒は目を閉じてしまうことに恐怖を感じている。
「どうして…僕はあなたのベッドにいるんでしょう?」
八戒はぼんやりと、目覚めた時から疑問に思っていたことを口にする。
「そりゃ、お前…」
唐突な問いかけに、悟浄は驚いたようで、しばし言葉に詰まった。
「俺が、お前の服まで濡らしちまったし。濡れた服のまんま、ベッドに入れるわけ、いかねぇだろうが。かといって…お前の服、脱がしちまうわけにも…」
好きで好きで欲情さえしかけている相手の服を、いくらそうする気はないにしても、脱がしてしまって自分を押さえていられる自信がなかったから、とは言えなくて、すっかりしどろもどろになって悟浄は答える。それでも、律儀に答えを返そうとする自分に苦笑しながら。
「…らよかったのに…」
ポツリと漏らされた八戒の言葉は中途半端にしか悟浄の耳に届かない。
「え? なに? なんだって?」
何か凄いことを言われたような気がして、悟浄は聞き返した。
「脱がせてしまえばよかったのに、と言ったんです。だって、悟浄、あなた、そうしたいと思っていたんじゃないんですか?」
八戒からのとんでもない言葉に、悟浄は噎せる。
「おまっ…なに言って…っ!」
ずっと隠し続けてきたはずの心の内を読まれたようで、悟浄は慌てた。
「僕が、知らないとでも? 気付かなかったと、本気でそう思っているんですか?」
慌てる悟浄を少し面白そうに見ながら、八戒は言葉を続ける。
「僕なら…いいのに…」
いいって、何が? 問いかけた言葉を悟浄は飲み込む。
そういう関係になってもいい、と言っているのか。それとも、僕などどうなってもいいのだ、と言っているのか…。
その答えは、目の前にある八戒の顔ですぐにわかる。
悟浄は切なくなって、八戒の顔を凝視した。彼が言いたいのは、間違いなく、後者の方だ。
沈黙が二人を包む。雨音が聞こえる。
悟浄は八戒が次に何かを言い出す前に、吸っていたタバコを灰皿に投げ込むと、服を脱ぎ始めた。
「ちょっと、悟浄、何を?」
そのいきなりの行動に八戒は慌てる。
「風邪ひくから脱げ、っつたのお前だろ?」
慌てる八戒を尻目に、悟浄はさっさと上の服を脱ぎ捨てると、ズボンへと手をかけた。
「言いました、言いましたけど…着替えも出さないでどうするんですか? それに…シャワーも浴びた方が…」
今度こそ起き上がって、何かの行動を起こそうとする八戒に悟浄は声をかける。
「お前も脱いじまえって、その濡れた服」
「えっ?」
すっかり生まれたままの姿になった悟浄がとんでもない事を言い出した。
「あ…ぼ…僕、部屋に帰って着替えて休みますから、悟浄も…」
急に立ち上がったせいで眩暈でも起こしたのか、ふらつく八戒の身体を悟浄がしっかりと支える。
「…いいから…」
支えた手はそのままに、悟浄の指は器用に八戒の服のボタンをはずし始めた。
「ちょっ…悟浄! 何を!!」
暴れる八戒の身体を押さえつけるようにして、悟浄は彼から濡れた服を脱がせていく。
「誘ったの、お前だぜ?」
耳元で囁かれて、硬直してしまった八戒を自分と同じ姿にすると、悟浄はその身体をベッドに投げ込んで、自分もそこに横になった。
「こうするとな、あったけーだろ?」
何をするでもなく、大切な壊れ物でも抱くように八戒の身体を自分の身体で包み込む。
「もう、独りじゃねぇ、だろ?」
優しく囁く。なす術もなく、硬直している八戒を優しく労わるように、声をかけつづける。
「俺が、いるから…俺が、守ってやるから…雨の日は…」
くすり、と八戒が笑った。
「雨の日、だけですか?」
いつの間にか、緊張を解いたらしい八戒のその声に、悟浄は安堵のため息を漏らす。
何をするわけでも、されるわけでもないけれど、こうしてすべてを委ねようとしてくれている彼を、本当に愛おしいと悟浄は思う。
「雨の日も、晴れた日も、ずっとがいいの?」
それでも八戒の真意を測りかねて、悟浄が問う。
「さあ。どうでしょう?」
もう一度八戒が、くすり、と笑う。
ざあざあと雨音が聞こえる。それよりも、抱き合った相手の心臓の音が聞こえる。
もう、自分は一人ではないんだ、と教えてくれる悟浄の音。
自分を拒まず、自分の思いを受け入れようとしてくれている、八戒の音。
相変わらず、熱は高いままで、辛いのだろう、八戒はウトウトと眠りに落ちる。
悟浄はそれを愛おしげに見やって、微かに笑う。
背中を押してくれた彼女に礼を言いたい、いっそのこと、抱きしめて愛を叫んでやりたい。
そんなことをしたら、八戒は怒るだろうか。
今はまだ、彼は自分に対して受身でしかないだろうけど、いつか、嫉妬してもらえるくらいにまで、自分に溺れさせてみたい、と思う。
雨音は聞こえなくなっていた。いつの間にか雨はあがっていた。
今度雨の日、八戒を誘って泣きに行ってみるのもいいかな、と悟浄は考える。
そんなデートなんて聞いたことないけど。
そこで、自分のガキの頃のことを話して、雨が好きなことも話して、お互いに孤独じゃないんだ、と嬉し泣きが出来たらいい。
そんなことを考えながら、もう一度八戒をしっかりと抱きしめなおして、悟浄も眠りに落ちた。
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「今夜は帰らねぇから」
出かけようとすると、八戒がついて来たから、俺はそう言った。
「はい…」
ドアを開けて空を見る。今にも一雨きそうな感じだ。俺たちの間の空気が一気に湿った感じがした。
「傘、持たなくていいですか?」
何かを言いたくて言い出せない、そんな顔で八戒が聞く。
「いらね」
雨に濡れるのは嫌いじゃない、いつかそう言ったら、すごく不思議そうな顔をされたっけ。
「そうやって、濡れた服を乾かすの、僕の仕事なんですからね?」
笑顔で言う八戒の、でもその瞳に浮かんだ寂しさを見ちまって俺は、つい、と視線を逸らす。まっすぐに見つめたら…出かけられなくなりそうで…。
「…いってらっしゃい…」
空の色と同じような顔をして八戒が言う。言いたいことを飲み込んで…。
「ん…」
言葉にされなかったその思いを知りながら、俺は家を出た。
いつだったろう? 一緒に暮らし始めて、まだ日も浅かったあの、雨の日。
八戒は雨の日に一人になることを怖れているように感じられた。
あの日、いつものように夜半過ぎに帰ってみると、八戒は一人、灯りもつけないキッチンでポツンと座っていた。
俺が声をかけると、今にも死んじまいそうな目をして、どこか遠くを彷徨うような目をして、そして、俺に縋るような目をして…
ウサギ、だっけ? 寂しさで死んでしまう、という生き物…まるでそんな風で。
それ以来、俺は雨の日に出かけることをやめた。
一緒にいてやれば、八戒はいつもの八戒で…それでも、どこか泣きそうな目をして、何か言いたそうな顔をして、何かに縋っていなければ、生きていることさえ出来ない、そんな感じだった。
ただ、俺がいるから、俺しかいないから、だから俺に甘えてるんだろう、とわかってはいる。
けど、いつからだったろう…俺は、そんな八戒に、同居人、以上の感情を抱くようになっていた。
相手は男だし、そんな感情を抱くのなんて間違ってるってわかってても、それはどうしようもなくて。
雨が降った日には自分がとんでもないことをしてしまいそうな予感がしたのは、そうは遠くない過去。
だから…俺は、雨が降るとわかっていて、家を出た。
「もう、いいって…」
俺は、自分の足の間に身体を埋めて、一生懸命に奉仕をしてくれてる女に言った。
彼女の心づくしの奉仕にさえ、元気にならない自分が少し情けない。けど、彼女はそんなこと、気にもしてないようだった。
「彼の、こと?」
軽くため息をついて、彼女が顔を上げ、俺が腰掛けているベッドの横にならんで腰を下ろす。
家を出ても、特に行くところがあったわけじゃなく、俺はいつのも店へと足を運んだ。
そこで、なじみの娼婦に出会い、今夜は帰るところがねぇんだ、とおどけて言うと、彼女は自宅へと俺を誘った。
彼女とはけっこう長い付き合いだ。ごろつきに絡まれてるところを助けてやって、それから、金銭授受なしで付き合ってくれる。俺よりも少し年上の彼女は、姉貴のような存在で、俺が自分で気付かなかった八戒へも思いに形を見せてくれたのも彼女だった。
「あんた、その彼に、恋、してんじゃない?」
そう言われたのはかなり前だったように思う。それ以降も悪びれず、俺に付き合ってくれる彼女に、俺はすっかりと甘えてしまっている。
「まだ、思いを遂げてないんだ? 珍しいね、悟浄」
横に並んだ俺の頭をポンポンと叩きながら、彼女は軽い口調で言う。
「ま、本当に欲しいものって、中々手が出せないよね?」
今度は頭を抱きしめられる。
「そんなんじゃねぇよ…。ただ、あいつも俺もオトコだし…」
俺はされるがままになりながらポツリ、と呟いた。
「性別なんて関係あるの? あんた、あの彼が大事なんでしょう? 好きなんでしょう? したいんでしょう?」
彼女の言葉は容赦がない。俺に媚を売るわけでもなく言われる言葉が心地いい。
「そりゃね、押し倒しちゃったら? なんて言わないけど、ね。今のあんたって、見てて歯がゆくなるんだよね。好きなら好きって、大事なら大事って言ってあげなきゃわからないんじゃない?」
顔を覗き込まれて、俺は視線を逸らす。そうすることが出来たら、どんなに楽か…。
「玉砕したら、アタシが慰めたげるから。それにね、彼、あんたのことが嫌いなら、一緒に住んでたりしないと思うよ? あんたって凄くルーズだから、一緒に暮らすの大変そうだもん。なんかなきゃ、すぐにでも出て行くんじゃない?」
彼女の言葉に縋りたい自分がいる。
「ほ…ホントにそう思う?」
俺は顔を上げ、まっすぐに彼女を見た。
「もう…余裕がないねぇ」
俺のマジな顔に彼女は苦笑する。
「ま、いつまでもうじうじしてるのってあんたらしくないし、それに、ずっと隠し通せるもんでもないんじゃないの? 言っちまいなよ」
今すぐにでも、と彼女は言った。
雨の日、弱ってる八戒に、その弱みにつけこむように? そんなこと…。
「相手があんただから、見せてる弱みじゃないの? だったら、それでもOKだと思うんだけどなぁ…」
雨の日…三蔵や悟空が来ている時には、そういえば、八戒はあんな顔はしない。
外の雨の音がやけに大きく聞こえ、今にも泣きそうに、何か言いたそうに俺を見る八戒の顔が脳裏に浮かんだ。
「俺…帰るわ」
立ち上がった俺につられる様に彼女も立ち上がる。
「あ、言う気になった? 発破かけといてなんだけど、さ。焦んないでね」
戸口に向かう俺の後ろをついてきながら、彼女が言う。
「悟浄、傘は?」
「いらね」
戸口で手を振る彼女に背中を押されるように、俺は雨の中、八戒の待つ家に向かって走り出した。
大事だって、一緒にいたいって、雨から守ってやりたいって、言うために。
帰ってみると、キッチンにだけポツリと灯りがついていた。眠れないでいるのだろう、と覗いてみると、八戒がラジオの前で立ち竦んでいる。
「八戒」
声をかけるが、俺が誰だか…いや、自分が誰かさえわからないような顔で、ぼんやりとしている。
その心はどこか遠くにあるようで、俺は怖くなって奴の肩を力いっぱい掴んで、呼び戻すように大きな声をかけた。
「おい!! 八戒っ!」
ふっ、と八戒の視線が俺を捕らえたことに安堵する。
「…悟浄…? 今夜は帰らないんじゃなかったんですか?」
不自然に逸らされた視線に、八戒が俺を待っていてくれたと知って、少し嬉しくなる。
「そんなに濡れて…その服、洗濯して乾かすの、誰だと思っているんです?」
それからすぐに俺に向けられた視線はいつもの負けん気の強さを示すような色を湛えていて…。それでも、今にも泣き出しそうに見えた。
「わりぃ…」
いきなりこんなことをしたらこいつはどう思うだろう、とかそんなことを考えるよりも先に俺は八戒を腕の中に抱き込んでいた。
八戒が口に出す言葉よりも、本当はいいたい事が別にあるのだとわかっているから。
「ちょっ…悟浄! 僕まで濡れちゃうじゃないですか!」
一瞬、何をされたのかわからないような様子で、八戒の動きが止まる。それから、慌てたように俺から逃れようとするその身体を離さずに、小さく囁いた。
「いいから…強がんなくても、いいから…」
お前の本当に言いたい事を言って? 俺の感情と違っていても構わないから、もっともっと、俺に甘えて?
そっと、頭を撫でてやると、八戒は俺に身体を預けたまま、意識を失ったようだった。
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「今夜は帰らねぇから」
悟浄が戸口に立って、言う。
「はい…」
どんよりと曇った空は今にも雨が落ちてきそうで、その空を見上げる二人の間の空気は一瞬、澱んだようにも感じられた。
雨が降りそうです、行かないでください。思わず出かけた言葉を飲み込む。
「傘、持たなくていいですか?」
飲み込んだ言葉のかわりに、取ってつけたように言って、僕は玄関口の傘を手に取った。
「いらね」
短い答え。悟浄はいつもそうだ。もう降り出している雨を見ていてさえ、傘を持とうとはしない。
「そうやって、濡れた服を乾かすの、僕の仕事なんですからね?」
寂しいと思う気持ちを飲み込んで、僕はにっこりと微笑んだ。
つい、と逸らされる悟浄の視線。いつもと違う様子に、僕は悲しいと感じてしまう。
「…いってらっしゃい…」
それでも、悟浄の戻ってくる場所はここなのだという事をはっきりと教えるように、僕はいつも通り、送り出す。
「ん…」
短く返事を返すと、悟浄は今にも振り出しそうな空の下、出て行った。
僕は悟浄に甘えているのだと思う、雨のあの夜、拾われてから、ずっと…。
僕が雨の日に精神のバランスを崩しやすいと知った悟浄は、雨の日は極力僕の側にいてくれた。
いつしか僕の中ではそれが当たり前になってしまっていて、彼のその行為に甘えてしまっていたのだ。
指先から冷たくなってゆくような、縋る物もなく、ただ、死を待つような…そんな孤独が、悟浄が側にいるだけで薄れていく、そのことが今更ながらに僕にとって、いつしか何物にも替えがたい物になっていることに、今の今まで気付かなかった。
逸らされた視線、彼がいない、ということ。
降り始めた雨は、いつも以上に僕を孤独にさせた。
人は…孤独で死んでしまえるのではないだろうか…。
夜中になっても雨は止まず、寝付けない僕はキッチンでお酒を飲んでいた。
この家にある中で一番、アルコール度数の高いもの。酔い潰れてしまえたら、と杯を重ねても、酔いすら巡ってこない自分の肝臓の強さに苦笑する。
深夜ラジオが大音量で流れている。
雨音を消すため。
何の内容もない会話と、何がおかしいのかわからない馬鹿げた笑い声。
内容が頭に入らないせいで、その笑いは僕への哄笑に聞こえる。
『あれが、愛する女一人守れなかった、情けない男さ』
『あれが、愛する女に目の前で死なれた、哀れな男さ』
『あれが、狂気に支配され妖怪になってしまった、バカな男さ』
『あれが、雨の日には一人でいることすらできない、悲しい男さ』
『あれが…』『あれが…』『あれが…』『あれが…』…………
それでも、雨音よりはマシだと思う。雨音は彼女の声に聞こえるから…。
『…さようなら、悟能…』
悲しい笑顔と共に思い出される彼女の声。
『さようなら…』『さようなら…』『さようなら…』
『あれが…』『あれが…』『あれが…』
言葉が、僕の中でこだまする。
ざぁざぁという音に意識が浮上する。
僕の嫌いな、雨、の音。
どうやら、テーブルに突っ伏して眠っていたらしい。顔を上げると、くらり、と眩暈がした。
深夜ラジオの放送がいつの間にか終わっていたらしい。僕を起こした音は、雨の音ではなくて、ラジオのノイズ。
自分のものとは思えない重たい体を引きずるようにして立ち上がり、ラジオのスイッチを押す。
パチン、と軽い音がして耳障りなノイズが止む。
途端に聞こえてくる、雨の音。
ざぁざぁざぁざぁ…
身体が竦む。眩暈が止まらない。
やっとのことで立っている、僕。足元の地面が崩れてゆく感覚にただひたすらに耐えた。
ざぁざぁざぁざぁ…
それは…僕の心の中のノイズ。
『さようなら…悟能…』『さようなら…』『さようなら…』
エンドレスに聞こえるのは…花喃の声。
僕の…ノイズ…
「…っかい…」
遠くで誰かの声がする。
八戒? 誰のことだろう? 僕の名前は…猪悟能…
肩をガシリと掴まれた。その痛みに僕は顔を顰める。
「おい!! 八戒っ!」
目の前に、紅い色が広がっている。
「…悟浄…?」
心配げに僕を見つめる紅い瞳と視線があって、僕は、ふっ、と安堵のため息を漏らした。
「今夜は帰らないんじゃなかったんですか?」
安堵したことを知られたくなくて、視線を逸らしながら、言う。
「そんなに濡れて…その服、洗濯して乾かすの、誰だと思っているんです?」
いつものように少し棘を含ませて、笑った。
「わりぃ…」
いつもの悪びれない口調とはまったく違う声で囁かれ、僕は急に抱きしめられてしまった。
「ちょっ…悟浄! 僕まで濡れちゃうじゃないですか!」
あまりに急な出来事に僕は硬直し、慌てて彼から逃れようともがく。
「いいから…」
耳元で囁かれて、僕は動きを止めた。
「強がんなくても、いいから…」
悟浄から匂う、僕の嫌いな雨の匂い。それよりも好きな、彼のタバコの少し甘い匂い。
悟浄の体を包む、冷たい雨の気配。それよりも暖かい、彼の体温。
窓の外から聞こえる、彼女の声にも似た、雨の音。それよりも間近に聞こえる、彼の心臓の、生きている、音。
悟浄の気配に包まれて、頭を軽く撫でられると、僕はそのまま、意識を手放していた。
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カチャリ…
乾いた音がして、僕のポケットから落ちた物を、すぐ横にいた三蔵が拾った。しばらくそれを眺めた後、僕の手に押し付けるようにして返してくれる。
何か言いたそうにしているが、彼はいつものように何も言わない。だから、僕も聞き返すことはしない。いずれ、話さなければならないにしても、それは今、この場で話さなければならないことではないからだ。
「あれ? 持って来てたんだ、それ」
僕の手の中に納まったそれを、悟浄が覗き込むようにして聞いた。
「ええ」
僕は短く答える。捨ててしまうことなど出来るはずもないですから、言いかけて、その言葉は飲み込んだ。
壊れた懐中時計。僕の時間も4年前のあの日から、止まったままなのかもしれない。花喃が僕の前から連れ去られたあの日から…。
八百鼡、と名乗った女性が自らの咽喉元に小刀を当てた時、僕は確かにそこにいたのに、3年前のあの場所にいるような錯覚に陥ってしまった。
僕はまだ、あの時間に囚われているのだ、と思い知らされる。
動かない時計、進まぬ時間。
三蔵と二人きりになった部屋で、彼が言った一言は、ずっと彼が言い出したいと思っていて言えなかった言葉、だったのだろう。
「お前は、お前の思う道を進めばいいんだ」
静かに告げられた三蔵の言葉に、僕は常にポケットに忍ばせている壊れた時計を握り締め、答える。
「今ここにいるのも、ちゃんと僕の意志です」
うまく、微笑むことができただろうか? それに…
「それに、保父さんは必要でしょう?」
タイミングよく賑やかな二人が登場し、三蔵と僕の会話は途切れた。
賑やかな二人を宥めてようやく落ち着きを取り戻した部屋で三蔵は疲れたようにため息をつき、新聞を広げる。
「あの、三蔵?」
彼が新聞から目を離し、煙草を手に取ったのを見て、僕は淹れたばかりのコーヒーを差し出しながら声をかけた。
添えて出す、砂糖とミルク。砂糖を多く入れるときは本当に疲れている時だから、その後の言葉を言ってもいいかどうか、目安になる。
「なんだ?」
疲れているようならまたの機会に、と思っていた僕は、三蔵がブラックのままそのコーヒーに口をつけたのを見て、言葉を続けることにした。
「僕の我侭、聞いてもらえますか?」
無言で僕の顔を見る三蔵は目だけで話の続きを促してくれた。
「次に入った大きな町で…この時計を修理に出そうと思います」
ポケットからそっと取り出した時計を彼に見せるように差し出す。
「ああ」
ちらり、と僕の手の中にあるそれに落とされる視線。4年前のあの日、1時23分で止まったままの時。
「きっと、すぐには直らないと思うんですが…」
三蔵につられるように見入っていたそれから視線を無理矢理はがし、僕は問う。
「いいぞ。直るまで滞在すりゃいいんだろ」
言下に、しょうがねぇなぁ、とでも言いたそうな声を滲ませて、呆れたようなため息までつきながら、それでも三蔵は僕の我侭を聞いてくれる、と言う。
「ありがとうございます」
囚われたままの時を引きずって、それでも生きているのだと、生きてゆくべきなのだと教えてくれたのは、彼。
ずっと動かなかった僕の時を少しずつ動かしてくれたのは悟浄で、そんな概念など吹き飛ばすような日常を与えてくれたのは悟空。
僕は…僕の時を動かしてもいいですか? 花喃…。
悟能…悟能…彼女が僕を呼ぶ声が聞こえる。
ただの認識番号のようでしかなかったその名前を、僕のものなのだと教えてくれた彼女の声が好きだった。
今、僕のその名を呼ぶのは耳障りな声。確かに記憶にあるのに、思い出したくない、覚えていないその声が、僕に執着する。
彼女の血を浴びた…3年前の記憶が甦る。男にねじ伏せられた痛みよりも強烈に、心が痛い。
「八戒…お前は、猪八戒だろうが!!」
僕の時の歯車を少しずつ動かしてくれた、悟浄の声がやけに鮮明に聞こえた。ここはあの時じゃない『今』だ。
傷だらけでふらふらになりながら、それでも笑顔で戻ってきた悟空のいつもの一言に、意識は一気に現実へと引き戻された。
三蔵と男を追っているうちに、僕はすべてを思い出していた。
彼女が死んだ時、その場に居た男の顔、その言葉。三蔵の言った「復讐という形」が目の前に現れたような気がして、眩暈さえ起こしそうな焦燥感に囚われる。
だから、確認した。
「僕は、ここにいてもいいんでしょうか」
自分が今いる場所が、今いる時間が間違いではないと、確証が欲しかった。
「お前は俺を裏切らない。そうだな」
それは確証でもなく、純然たる事実として僕の耳に突き刺さる。いてもいいのではなくて、いなければならないのだと、教えられた気がして、揺るぎ始めていた足元がしっかりしていることに安堵した。
男の言葉に動じない三蔵に僕は救われているのだと、はっきりと認識する。もう、誰も傷つけさせたりしない。僕の過去を知っていて、それさえ含めて、僕を受け入れて、僕の時を動かしてくれた仲間たちを、僕は守りたいとその時、確かに思っていた。
「貴方が悦びに、悶え苦しむ表情を」
その、男の声を聞くまでは…。
体を巡る、すべてを破壊したいと願う衝動をどうすることも出来ない。心と身体の均衡が崩され、僕の手は三蔵へと伸びる。
僕はこの男に妖怪にされてしまった…男の一言が僕の精神の均衡を崩し、僕はどこまでも落ちてゆく。
また、それに抗えないのか…
カチッ。
小さな音が聞こえる。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。
単調に時を刻む時計の音。
悟能、悟能、囚われないで…。
それは僕の大切だった人の声。ポケットに大切にしまってある時計の時を刻む音。
そうだ、僕の時間はあのときに止まってしまったわけではない。あの時と同じには、ならない。僕は『今』を生きている。
もう、誰も…僕の大切な人たちの誰も、死なせはしたくない。
僕には過去も未来もある。いくら穢れようと、その穢れを洗い流し、時には押しつぶされそうになりながら、それでも生きて行く。
悟空に書かれた油性ペンの生命線を眺める。
「いーんでない?」
もっと生きて、いーんでない? 悟浄の言葉が優しく僕の心の中に落ちてきた。
ポケットの中の時計を握り締める。
僕の時は動いている。
これからもずっと、彼らと共に動いていたいと、心からそう思う。
僕の命が尽きて僕の時が止まってしまう、その時まで、君は僕を見守っていてくれるだろうか、花喃…。
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【悟浄&八戒】
俺だけじゃないんだ、と知ったのは、八戒と暮らすようになってから。
もうずっと、辛いのだとか、自分は不幸なのだとか思ったこともなかったけど、八戒の境遇は、そんな俺から見てもかなり、辛そうで…。
雨の日、塞ぎこむ奴を見るのは…正直辛かった。
俺に出来ることといったら…ただ…それを見つめているだけ。
『つらいめばかり会う
きみのためにできるのは
僕がそれを知ること』
たった一度、まだ名前さえ知らなかったあの時に聞いた、八戒の心の闇。
それきり、話そうともしないで、ただ、雨の日には辛そうに眉根を寄せてぼんやりとしている。
泣くことさえせず、それでも奴が泣いていることが俺には手に取るようにわかった。
吐き出しちまえよ、何度もそう言いたかったのに、いつもその言葉は俺の腹の中から吐き出されることはない。
それが、さらに、奴の痛みを激しくすることがわかっているから。
『一人で抱えて泣く
きみのためにできるのは
その痛みを感じること』
自分の行く道さえも見失って、それでも生きてゆこうとしてくれているのは…友人に恵まれたからだ、と言った八戒。
その、友人、の中に俺も入っているのか?
自らの意思で失った右目が見ているであろう闇の中、あいつは歩き続ける。
約束など出来ないけれど…その先にあるものは…暖かいのだ、と…ただただそう願って、俺も共に歩むから。
『目の前に光はなくても
くらやみに慣れた目は
足元の道を見つける
明日はいつも 優しいから』
一緒にいることしかできないけれどお前は一人じゃないんだ、と、そう言ってやることさえ出来ないけれど、お前の微笑が俺たちを救ってくれたのは一度や二度じゃないから…。
『二人で奏でよう たからもののうた』
【悟空&三蔵】
ずっとずっと呼んでたんだ、孤独から連れ出してくれる誰かを。孤独がどんなに辛くて寂しいのか…俺はもう、痛いほど知ってるから、誰にもそんな思いはさせたくないんだよ。
だからさ、俺、もう、三蔵の側から離れねぇから。三蔵が嫌だって言ったって、ずっとずっとそばにいるから。
三蔵が見えなくなったら、俺、絶対探し出してみせる。一人じゃ、寂しいだろ?
『きみと出会えた
おかえしにできるのは
これからも隣にいること
一人が好きな
きみのためにできるのは
朝が来るまで 探し続けること』
いっつもいっつも、苦虫を噛み潰したみたいな顔してさ、何がそんなに面白くないわけ?
八戒も悟浄も俺もいんのに、どうしてそんなにつまらなそうな顔ばっかしてんの?
八戒がさ、言ったんだ。俺と三蔵を足して二で割ったら丁度良くなるのに、ってさ。それって酷くねぇ?
でもさ、俺、思ったんだよ。俺、三蔵となら足されちゃってもいいかな、って。
そしたらさ、もう、一人じゃないじゃん? 俺、三蔵と一緒なら、何処にだって行けるし、何だって出来そうな気がすんだけどなぁ。
『きみのブルーで
ぼくの黄色は
みどりになって
まざりあう 風の色』
俺さ、ずっと忘れられないんだ、三蔵が差し伸べてくれた手のこと。「連れてってやるよ…―仕方ねぇから」そう言った言葉とは裏腹にけっこう楽しそうだったじゃん、三蔵。
俺に、呼ぶための名前を与えてくれた…
『今も思い出せる
ぼくの大好きなメロディ
出会えて ホントよかった
たからもののうた』
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プロフィール
夏風亭心太
酒、煙草が好き。
猫好き、爬虫類好き。でも、虫は全部駄目。
夜が好き。月が好き。雨の日が好き。
こんな奴ですが、よろしくお願いします。
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夜が好き。月が好き。雨の日が好き。
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