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くれないづきの見る夢は 紅い涙を流すこと 透明な血を流すこと 孤独にのまれず生きること
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 悟浄が火を点けようとした何本目かの煙草を、僕は取り上げる。
 町に着いて、宿に入ると悟浄は立て続けに煙草を吸いだした。
「僕も、悟空の意見に賛成ですね」
 今回はツインの部屋を二つ取ることができたので、悟浄と僕、三蔵と悟空という一番無難な部屋割りにし、当然のことながら、今は部屋で二人で過ごしている。
「あ?」
 なんだよ、それ? 何が言いたいわけ? といいながら僕から煙草を奪い返し、火を点けようとするので、今度はライターを取り上げた。
「ため息」
 僕は指摘する。
 今日、ジープの中で悟浄が大きくため息を吐いた。
 つまんねぇなぁ、とか、綺麗なお姉ちゃんいねぇよなぁ、とか、そんないつもの道化たため息ではなく漏らされたそれは、悟浄自身意識していなかったのだろう。
 本人が意識していないために止まるところを知らないそれに、悟空がいい加減焦れたかのように言ったのだ、悟浄にため息なんて似合わねぇよ、と。
「そんなん、知らねぇよ」
 吐き捨てられるように言われたその言葉は、どこか空虚に響く。
 僕は、悟浄がため息を隠すために煙草を吸うことを知っているから、少し諦めにも似た心境で、彼の咥える煙草に火を点けた。
「あんまりため息ばかり吐いていると、幸せが逃げちゃいますよ?」
 僕の言葉を、悟浄は、ふんっ、と鼻で笑う。
「幸せ? 生憎とそんな不確かなもん持ち合わせちゃいねぇし。それに…」
 いかにも不味そうに、煙を吸い込む彼は言葉を続ける。
「そんなマヤカシに縋るほど、落ちてもねぇ」
 そう言って吐き出された煙はやはり、ため息のようで…。
 不確かな幻。それは違う、と僕は言う。
 自分の失ってしまった物は確かにそこにあったし、あったからこそ失って悲しかったのだから。
 自分とよく似た姿をした、失ってしまった幸せ。
「それにね…」
 僕は言葉を続ける。自分は今、とても幸せなのだ、と。
「あなたに命を救われて、三蔵に生き続けることの意味を教わった。そして、悟空に、あの笑顔でいつも励まされて…。こうして旅を続ける毎日は、今の僕にはかけがえのない幸せなんですよ」
 僕は、笑う。そんな何でもない毎日がとても幸せなのだと。
 そして、悟浄に聞いた。
「あなたは、幸せですか?」
 否定はされなかった。ただ、さぁな、と短く一言だけ答え、彼はもう一度、大きく煙草の煙を吸い込む。
「こんな生活がいつまで続くのか…」
 その感情が殺された声に僕は問う。
「嫌なんですか?」
 悟浄は、どうなんだろ、とため息と共に煙を吐き出した。
「ま、今の情況じゃナンパもできねぇし、いっつもおんなじ面子で刺激も少ねぇし。でも俺は、この毎日が続くのが当たり前だと思っちまってて、この時間がなくなるなんて考えられねぇんだよ」
 今度は、煙草の力も借りず、大きくため息を吐く。それがきっと、彼のため息の理由。
「それが、幸せ、ということではないんですか」
 僕の言葉に驚いたような顔になり、悟浄は唇から落ちかけた煙草を利き手の人差し指と中指で挟んだ。
 まいったなぁ、そう呟くと、幸せなどないと言った男は、額に煙草を挟んだままの手をやって面映そうに笑った。
 毎日、問題は尽きないし、僕らに課せられたものは大きいけれど。
 こうして4人、旅を続けられるのが今の、僕らの幸せ。




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【side 悟浄】


 強烈な吐き気に襲われて、便所に駆け込む。
 手洗い場の蛇口を目一杯に捻り、そこに手を置いたまま、俺は胃の中身を吐き出した。
 酒で腐った胃液と、その胃液で腐ったコーヒー…そんなものしか出てきやしねぇ…。

 俺はもともとそんなに喰う性質じゃない。
 俺がまともに物を喰うようになったのは、あいつと暮らし始めてから。あいつの作る飯が旨かったから。
 あと…あの猿。あの猿が旨そうに喰ってると無性に腹が立って、ついつい張り合って…その後に俺が胸焼けや胃痛で苦しんでるなんて、誰も知りゃしねぇだろうけど。

 吐き気が止まらない。蛇口に口をつけるように水をがぶ飲みして、また、吐いた。そんなことを、何度も何度も繰り返す。
 ここ3、4日、固形物を口に運んでない気がする。冷蔵庫に残っていたチーズを、それでも、と思って食べたのが、きっとそんくらい前。んで、家の中の食べ物は底をついた。
 ほんのさっき、飲み干したのが多分、最後の酒。
 煙草だってもう1カートンも残っちゃいない。
 買出しに行くか、と立ち上がったらこの有様で…。
 顔を上げると目の前の鏡から、紅毛に紅い瞳の男が真っ青な顔で目の下にどす黒い隈を作って、こっちを睨みつけてきた。

 3週間前、あいつが出て行った。
 書置きも何もなく、ただ、普段ならいるはずの時間にその姿が見えなくて…。
 ま、あいつも一人前の男だし? いつまでも俺に喰わせてもらってるってのも嫌なんだろう、と、そう思った。
 でもさ、出て行くなら出て行くで挨拶の一つくらいしたって罰は当たるめぇ?
 ちょっと癪に障ったが…気ままな一人暮らしに戻っただけだ、そう、それだけ…。
 いつものように賭場に行って女引っ掛けて…帰る時間なんて気にしなくていいのはすんごく楽で。
 そんな風に思って過ごせたのは…最初の一週間…。

 ガクリ、と膝から力が抜ける。便所の床に無様に座りこんで、俺は自棄になって笑った。
 それ以外に、どうしろってんだ?

 だんだん、すべてが色褪せてゆく感覚をとめることができなくなっていった。
 俺が手料理に拘ると、作ってくれる女はいたけど、あいつの作ったものほど旨いとは思えなかった。
 何の目的もなく生きているのが辛く感じられた。
 もともと、目的なんて持っちゃいなかったのに、そんな生活に戻っただけなのに、ほんの僅かな、あいつを喰わせる、って目的がなくなっただけなのに…どういうんだろうな、これ…。
 ギャンブル依存症、恋愛ゲーム依存症、煙草依存症、アルコォル依存症…八戒、依存症…ははっ……笑えねぇ。

 また吐き気に襲われる。足に力が入らず、立ち上がることさえできなくて、そのまま這いつくばって便器まで移動する。
 便座の蓋を開けるのももどかしくそこに頭を突っ込んで、吐いた。
 苦い胃液を何度も何度も…咽喉の奥に焼け付く痛みを感じて、血が混じった胃液を何度も…。

「胃液がなんでも溶かすんなら、どうして胃は溶けねぇの?」
「それはね、胃には粘膜というものがあって、胃壁を守っているから、胃は溶けないんです。でもね、その粘膜が弱ってると、胃が荒らされて胃潰瘍という病気に…って、聞いてないですねぇ…」
 あいつと猿の会話。

「ちょっと、悟浄。仰向けにならないでっ。自分の吐しゃ物で窒息死、なんて間の抜けたことにはなりたくないでしょう?」
 酔って吐いて、寝っころがった俺に忠告をした、あいつの声…。

 んじゃぁさ、今みたいに咽喉につっかえるもんもなく吐き続ける俺が仰向けに寝っころがったら…胃液が肺に逆流して、俺の肺は溶けちまうのか…?
 馬鹿げた疑問。
 試しに転がってみるか、と馬鹿なことを考えて便器から頭を上げりゃ、また、吐き気。
 もう、胃液さえも出て気やしねぇ…。
 それでも、吐く。もう、泪が滲む、なんて生易しいもんじゃなく、ぼたぼたと目からそいつは落ちる。
 出るものもないのに、吐き続ける。
 やがて出てくる真っ赤な液体…それが咽喉からなのか、胃からなのか…わからないけど…その命の色をしたものを吐いて…少し気が楽になった。

 俺が吐き出しちまいたいのは…この苦い思い…独りになる寂しさ…依存されることに依存していた、愚かな自分…
 そして…救われない愚かさを開放するために…己の命を吐き出してしまいたいのかもしれない。

 玄関のドアが開いたようだ。誰も来る予定なんてなかったが、もう、どうにでもなれ、って心境で、俺は動かない、っつうか動けない。
「あ~あぁ…」
 聞き覚えのある呆れたような声…んなわけあるか、あいつは出て行ったんだ…。
 名前を呼ばれているような気がして…それさえも自分の幻聴かと思うとおかしくなった。
「悟浄っ!!」
 心配そうなあいつの声を最後に、俺は便器を抱えたまま、意識を手放していた。



【side 八戒】


「なんで、そんなに急ぐんだよぉ、八戒ぃ」
 悟空が僕をジープの助手席から不思議そうに見て聞く。
「だって、悟浄が心配でしょう?」
「どうしてさぁ? なんでエロガッパが心配なわけぇ?」
「…悟浄が、というよりも…うちが、ですけどね」
 僕は苦笑する。
 3週間も留守にして、きっとごみ溜めのようになっているであろううちの中を想像して、それ以外の表情を浮かべようもなかった。
 三蔵の依頼でジープで片道10日ほどの街まで使いに出た。今回の同行者は悟浄ではなくて悟空。
 なぜだか気が急いて、ジープに無理をお願いしてその行程を7日に縮め、さらに2週間はかかるであろう用事を1週間で終わらせた。

 悟空を三蔵の許に送り、報告を済ませると帰路を急ぐ。
 悟空には言わなかったけれど、悟浄のことも心配だったから。
「あ~あぁ…」
 玄関を開けた途端に思った以上の惨状が目の前に広がっていて、僕は思わずため息をついた。
 それにしても…ひどすぎないだろうか?
 一抹の不安に襲われる。
 悟浄はずぼらそうに見えてけっこう几帳面だ。ここまで散らかりっぱなし、というのはありえない、気がする。
「悟浄?」
 呼んでみるが返事はない。部屋に灯りはつけっぱなしだし、家にいることは確かだろう。
 かすかな物音に、僕はトイレのドアを開ける。
「悟浄っ!」
 便器を抱えるようにして意識を失っている彼を…発見した。

 病ではない、と医者は言った。ただ、衰弱しているのだ、と。その原因は、栄養失調。
 点滴の管に繋がれて眠る彼の顔は、かなりやつれている。髪も艶がなくて、ぼさぼさで…何があったのだろう、とそればかりが気にかかる。
 栄養剤の点滴…外し方は知っているから、と言うと医者は帰っていった。
 眠っている彼を起こさぬように部屋を出て、片づけを始める。
 気になって5分おきに部屋を覘くものだから、一向に片付かない。
 それでも、家中の食べ物が底をついていることだけは知れた。
 食料調達もままならない、何かがあったのだろうか?

 掃除を終えて、悟浄の部屋に行く。
 点滴が終わっていたのでその針を抜くと、血。
 あれだけたくさんの血を見て、あれだけたくさんの命を屠ってきたのに、その僅かな血の色に、僕は怯える。
 彼の命が流れ出していくようで…慌ててそれを隠すように医者から貰っていたガーゼでその針の跡を塞いだ。
 眠ったままの悟浄の横に椅子を置き、僕は読書を始めた。
 一行読み進めるごとに、悟浄を見る。内容が頭に入ってこない。

 活字中毒だ、と言われたことがあった、と思い出す。
 が、僕に言わせれば、それは、物語り依存症。本の世界に入り込めば自分を解放できるし、自分の置かれた現状から逃避できる。
 それ以上に僕は最近、悟浄に依存している、と思う。
 悟浄が出かけるのを見送って、家の中を綺麗にして、ただ、彼の帰りを待つ。そんな主婦のような生活に、ぬるま湯の中に漬かりきっているような毎日に、僕は安堵し、依存し続けていた。
 それじゃ駄目だとわかっていたから今回、悟浄には内緒で三蔵の仕事を請けた。いつまでも僕と言う荷物を彼に背負わせるわけにはいかない、と思ったから…。
 なのに…そう思って出かけても気になるのは悟浄のことばかりで…僕はもうすっかりと悟浄に依存しきっているのだ、と思い知った。
 そう、悟浄のことを心配して、世話を焼いている限り、僕は僕の問題に向き合わなくてすむから…
 こういうのを、共依存、というのかもしれない…。

 焦点の定まらぬ目で、悟浄が僕を見上げていた。
「…はっ…か…い…?」
 吐き続けたせいで咽喉をやられた悟浄の声はしわがれていて聞き取りにくい。
「お目覚めですか?」
 僕は微笑んでみせる。
「…な…んで…?」
 驚いたように、不思議そうに僕を見上げる悟浄に、僕は疑問を感じる。何をそんなに驚いているのだろう?
 出て行ったんじゃなかったのか? と悟浄が言った。
「…僕、言いませんでしたっけ? 三蔵の依頼で一ヶ月ほど留守にします、って」
 寝起きで、頭が働いていなかったようだけれど、確かに言った、いってきます、と…。悟浄は寝惚けていて聞いていなかったのか…。
 僕はため息をつくと苦笑した。
「だいたい、出て行けるわけがないじゃないですか。あなたがちゃんとごみの日を覚えてくれるまでは、ね」

 僕は悟浄の部屋を出る。何日も何も食べていなかったらしい彼に重湯を作るために。どうやら痛めたらしい咽喉のことを思うと、冷めたものの方が良いだろう。
 しばらくは、そんな美味しくない食事で我慢してもらわないと。

「俺、さ…八戒依存症、みてぇだわ…。お前見たら…安心した…」
 ポツリと呟かれた言葉。
 僕は聞こえなかった振りをする。弱音を吐くのを見られたがらない人だから、悟浄は…。
 閉じたドアに背を凭れさせ、僕もですよ、と呟く。
 お互いに相手に依存されることに依存していたなんて、お笑い種だけど…男同士で友情以上なんて、この程度でしかありえないから。
 お互いに恋人を持つようになってもこの関係は続くのだろう、と思うとそれが少し楽しいと感じてしまう、僕は…どこまでも彼に依存し続けて生きてゆく。






【三蔵】

「―まぁ俺は、とっくにおかしくなってんのかもしんねぇがな」
 そう言って笑った耶雲。その言葉が耳に甦る。
 守りたかった物、守れなかった物…忘れてしまうには大きなそれら…。
 何度自らのこめかみに銃口を押し当てただろう。
 そのたびに俺を止めたのは、誰かの声でもなければ笑顔でもなく…師の死に顔だった。
 俺は…自分を殺すかわりに、己に害をなすものを殺し続けた。
 その銃弾は、何一つ、生み出しはしなかった。
 人間が…暴走した妖怪によってバラバラに引き裂かれるのを、黙って見ていた。
 それは、奴の悲鳴のようだった…。
 守りたいはずの物を自ら壊して…その銃弾は…耶雲の心に悲しみを生んだのだろう。
 それは俺の通ってきた道で、狂ってゆく奴から、目を逸らすことができなかった。
 耶雲の叫びが、聞こえた。

 俺を…殺してくれ…。

 いつもいつも、俺は…そればかりを考えてはいなかったか…?
 跳ね飛ばされた悟空を見て…破壊の爪が悟浄に伸ばされるのを見て、俺は引き金を引いた。
 一発で、仕留めてやれなかったことが悔やまれてならなかった。

 俺の心の中に…雪が、降る。


【悟浄】

「夢ったって当たり前のことじゃん。なんで…ッ」
 悟空が言う。当たり前でもそれが現実じゃないから…。
 母親に愛されたい、それは当たり前のこと。でもそれは俺にとっては夢だった。
 現実は…現実の俺は…愛して欲しい母親に殺されかけた。
 大好きな人にただ笑っていて欲しかった。
 たったそれだけの事も出来ないのなら、俺の存在意義はなんだ?
 それならばいっそ、俺は死んでしまえばいいのだと、母親に殺されて、それで彼女が笑ってくれるならそれでいいのだと、そう思っていた。
 血の流れる音…奴が狂気に支配される、音。
 俺は目を閉じる。
 見たくは、なかった。
 母が俺に刃を向けた時に見せたような狂気を、もう、二度と…。
 それでも…奴の声が、聞こえた。

 誰か、俺を殺して…?

 死にたいと、殺して欲しいと、思ったことのない悟空に耶雲の声は聞こえない…。
 だから俺たちがこの男に刃を向ける。

 俺の心の中に…雪が、降る。


【悟空】

「…あいつの墓は誰がたててやりゃあいい」
 悟浄の呟きには、痛みが聞こえた。
 俺にはもう、止められなかった。
 ずっと昔、俺の孤独を慰めてくれた小さな小鳥…ある朝起きたら、目の前で冷たくなっていた。
 いくら伸ばしても届かない手の先で…俺はその小鳥の亡骸が朽ちてゆくのをずっとずっと、ただ、眺めているしかなかった。
 朽ちてゆくのは…アイツの心、なのかもしれない。
 流される赤い色が視界を埋め尽くす。
 なんで…なんでだよ…
 俺には、わからない。

 なんでアイツが苦しまなきゃならないのか。
 なんでアイツに刃を向けなければならないのか。
 なんで…アイツは死にたがっているのか…死ななければならないのか…。

 俺を守るように立つ、悟浄と八戒の苦痛に歪んだ顔が…脳裏に焼きつく。
 俺を殺して…その気持ちが初めてわかった気が、した。

 俺の心に…雪が、降る。


【八戒】

「…なんとかなる…って夢見てたのは俺の方かもしれねぇな」
 暴走した子供たちを自らの手で殺してきたのだと言って、彼は、笑った。
 誰か…僕を殺して…
 そんなことを思ったのは忘れてしまうには近すぎる過去のことだった。
 血の匂い…子供たちの…人間の…。
 肉が引き裂かれ、骨の砕かれる音。
 目を、逸らすことはできない。
 そこにいる彼は…過去の自分のようにも思えたから…。
 憎しみ、悲しみ、怒り、恐怖…彼は、この桃源郷を満たす瘴気にではなく、過去の僕と同じように、負の感情に支配され、自我を失ったのだ…。
 彼の、声が、聞こえた…。

 俺を…殺して…?

 彼の最後の顔を忘れることは出来ない…悲しそうに、苦しそうに、それでもホッとしたように、嬉しそうに…泪を流しながら笑って…逝った…。
 彼は…狂気になど支配されてはいなかったのだろう…。

 僕の心の中に…雪が、降る。


【四人】

 かじかんだ指で凍てついた大地に穴を穿つ。
 それは、生きてゆく者の勤めなのかもしれない。
 小さな小さなたくさんの墓の真ん中に大きな墓を一つ。
 雪が解け、花が咲き、また、雪が降り…幾度もの季節を過ぎて、風化するそれが忘れ去られる前に…
 彼らが新しい命として生まれ変わるまでに…
 この世界の混沌を終息させることができるのだろうか?
「―三蔵……あのさ、もし、俺が」
 悟空の言いたかったこと。
 悟浄が、八戒が、そして悟空が…自我を失ってしまったら、俺はきっとこいつらを…。
 そんな日が来なければいい、と祈りという不確かな物にさえ、縋りたいと三蔵は思う。

「殺してやるよ」

 手に入れた守らなくていいものは…きっと永遠ではないのだろう、と三蔵はタバコに隠してため息をつく。

「殺してやる」

 二度目の言葉は…誰に向けた物でもなく、自分自身に言い聞かせるための言葉。
 何を失っても…自分たちは今までの、これからの道を信じて歩み続けるしかないのだ。
 それぞれが背負う過去、そして…誰かに背負わせる、未来。

 三人の妖怪は、一人の信じる人間の言葉に少しだけ救われた気がしていた。
 心の雪が…少しだけ…解けた。

 四人はその雪山を後にした。
 前日、子供たちと作った雪だるまが少し寂しそうに彼らを見送っていた。






 それは…きっと、愛だの恋だのそんなものではないのだと、思う。言ってしまえば、それは…執着、なのだ。


 俺は、八戒がシンクの前に立って食器を片付けているのを、缶ビールを片手に見ていた。火の点いたタバコを灰皿に放り込んで立ち上がる。
 たった4センチの身長差。肩から首に腕を回して抱きしめるには、背伸びをしなけりゃならない。
 それでも、俺はそうして八戒に背後から抱きついた。
「悟浄…?」
 八戒が驚いたように食器を洗う手を止める。嫌がる風もなくそのままでいてくれることに、俺は少し自惚れてもいいのだろうか?
「どうしたんです? 酔っているんですか?」
 酔ってる? そうかもしれない…きっと、こんな気持ちになったのも、こんなことをしてみたくなったのも、これから言おうとしていることも…みんな、酒のせい…。
「なぁ、八戒…一度しか言わねぇし、聞こえない振りをしたって、すぐに忘れたってかまわねぇ…」
 八戒のうなじに頭をくっつけて呟く。
「えっ?」
 身じろぎをして俺を引き剥がし、振り返ろうと動くその身体を拘束するように俺は腕に力を込めた。そして、耳元に口を寄せて囁く。
「好きなんだ…」
 八戒が一瞬硬直したのがわかる。が、そのあとには…きっといつもの静かな笑顔…
「…ホントに…あなたって人は…」
 少し呆れたような声色。子供みたいなことを言いますねぇ、と笑う声。
「…僕も、嫌いじゃありませんよ? そうでなきゃ、同居なんてできないでしょう?」
 だからね、放してください、片付け物、終わらないでしょう? 自分の首に回された俺の腕を水で濡れた手で軽くポンポンと叩いた。
 安心したのか拍子抜けしたのか…俺は自分自身にもわからない気分で、言われるままに八戒を開放すると、頭を冷やすために外へ出た。


 それはきっと、執着。俺と同じように、俺のこの紅い髪と瞳に、血の色を見た男への…言葉で縛り付けて、俺の側から離れてしまわないように…。






 雨が、降っていた。
 一緒に暮らし始めてもうすぐ一年になろうとする同居人の様子が少しおかしくて、悟浄は柄にもなく気になって仕方がない。
 今日も、なんとなく彼のことが気になってしまい、悟浄にしては珍しく、生活の糧であるはずのカードに負けて、早々に帰宅していた。
「お帰りなさい、早かったですねぇ」
 食卓の椅子に一人ポツンと雨の音を聞きながら座っていた八戒は、まだ帰るはずのない悟浄が目の前に立ったのを見て、少し驚いたような顔をした。それからゆっくりといつもの笑みをその顔に乗せる。
 その笑みに感じる違和感…。悟浄は八戒の顔をマジマジと見下ろす。
「…なんですか?」
「いや…もうすぐ一年なんだなぁ、と思ってさ…」
 まっすぐに向けられた視線が痛いかのように、悟浄は目を逸らす。見つめ返すには辛く感じるような物が、八戒の目の中にはあった。
「一緒に住むようになって…」
「正確には、あなたに拾われて、ですね…」
 悟浄の髪が濡れて、水滴が滴っているのに気付いた八戒はタオルを取りに立ち上がる。バスルームに消える背中に、悟浄は声をかけた。
「お前さ、もしかして、また、死にたいとか思ってねぇ?」
 その言葉に、八戒はドキリとする。
 死ぬのは怖いと思ったのは彼らと出逢ったから…それでも今は…それ以上に彼女の許へ行きたいと、自分は望んではいまいか…。
 悟浄の言葉への否定の声が喉に引っ掛かったように出てこない。
 キッチンの方で、悟浄のライターの蓋が開いて、閉まる音がした。それから、大きなため息にも似たタバコの煙を吐き出す音…。
「…いやだなぁ、そんなこと…」
 自分でも取ってつけたようだと感じる笑顔をその表情に乗せて、八戒はキッチンへと戻る。
 てっきり、椅子に座って物憂げにタバコを咥えていると思っていた悟浄が立ったまま、自分をまっすぐに見ているのに気付き、今度は八戒が目を逸らした。彼の瞳に宿っている感情は…非難…?
「悟浄…髪を…」
 気を取り直したように、八戒は作り物の笑顔で悟浄にタオルを渡す。その顔とタオルを交互に見やった後、悟浄は渡されたタオルを頭にあてた。
 雨に濡れた髪はその色の濃さを増し、普段以上に血の色に近く見える。髪にあてられるタオルが赤く染まるような気がして、八戒は瞳を伏せた。
「なぁ? 今も、俺の髪や瞳は…お前がその手で流した血の色に見えているのか?」
伏せられた瞳の意味を悟ったかのような悟浄の言葉。八戒には黙って頷くことしかできなかった。
「本当に?」
 本当に? 自分は彼に贖罪を求めたはずだった…けれど…今は…彼女の流した血を、それだけを見ているのかもしれない…いや、そもそも、最初から彼に贖罪など求めてはいなかったのかもしれない。雨に流されてしまった、自分に染み付いた多くの者の血よりも、たった一人の彼女の血を、それだけを、見続けていたのかも…。
 彼女が死んで一年…あの日も雨だった…この時期の雨は、きっと忘れられない…。
 雨音が…自分を呼ぶ彼女の声に聞こえて、耳を塞いでしまえたら、とずっと思ってきたのにそうすることさえ躊躇われてしまう自分は、きっと弱いのだろう。
 悟浄は、自分の思いに囚われてしまった八戒の肩に手を置き、静かに促して椅子に座らせる。そして、その向かいに自分も腰を下ろして、表情をなくして考え込んでしまっている彼の顔をしばらく眺めていた。
「あのさ…辛かったら、泣けば?」
 知り合って一年…悟浄は八戒が泣くのを見たことがなかった。
 彼を拾ったあの時、自分を見て笑ったようにも泣いたようにも見えたあの顔でさえ、あれは泪ではなく雨だったのだ、と言われれば信じてしまうしかない。
 かたくなに泣くことを拒んでいるようにも見えるその顔に時折のぞく辛そうな色。それが悟浄には気になってしかたがなかった。
 彼の言葉にはっとしたように八戒は顔を上げる。それから、泣いているような、それでも笑顔でポツリと呟く。
「泣くことなどできませんよ、僕は…あんなにもたくさんの命を屠っておいて、どうやって、誰のために泣けるというんですか」
 ずっとずっと泣きたいと思っていた。でもそれは許されないのだと、それが自分に与えられた罰の一つなのだと、八戒はそう思って過してきた。
 彼女を自分の手元から失ったときに、泣いた。その彼女を自分の腕の中に抱きとめることも出来ずに死なせてしまったときにも…そして、自分の泪は涸れてしまったのだと思っていた。だから、泣けない…自分が口に乗せている言葉が詭弁でしかないことに、八戒は気付く。それでもその言葉を止めるすべを知らないかのように、彼は話し続けた。
「あれが、己のエゴだったのだと、最初からわかっていました。逆恨みだったのだと、ずっと知っていました。それでも僕はあれだけのことを、した。僕には、誰かのために、自分のために、泣く泪など、もう、ないんです。だいたい、僕に…誰のために泣けというのですか? 花喃のためにも、僕自身のためにも泣けはしないのに…」
 縋りつくような目をしている、と悟浄は思った。簡単に泣いてしまえるほど、八戒の悲しみは単純ではないのだと初めて知った気がした。いや、自分の髪を、瞳を贖罪の色だと言ったその言葉で最初から気付いていたのかもしれない。でも、それを受け止めてしまうほどに、自分は大きな器を持ち合わせちゃいない。
 自分の言った言葉はすべて、八戒には残酷に響いているのだろう。
「じゃぁ、さ。俺のために泣いてよ。こぉんな薄倖美人を拾っちゃったせいで、ナンパがいまいち上手く行かなくなっちゃった、俺のために、さ」
 だから、ふざけたように言ってみる。泣けないのなら笑ってよ、そんな気持ちもこもっていた。
 悟浄の意図を汲んだのか、八戒が小さくふきだす。
「やだなぁ、悟浄…あなたのナンパの成功確率が低いの、僕のせいなんですか?」
「お前ね、その言い方って何気に酷くね?」
 憮然と言い返す悟浄に八戒は声を上げて笑う。その右頬に暖かな物が伝った。
 それに驚いたように八戒は右手をその頬に添える。それから、かけていた眼鏡を外して両手で顔を覆った。
「失ったはずの右目が痛むんです…」
 本当は…自分の失った半身が…彼女があるはずだった心にぽっかりと開いた穴が…痛むのかもしれないとわかっていたけれど…それを理由にして泣くわけにはいかないから…
 顔を覆っておいた両手をテーブルの上に乗せる。自分に残されている左目の視界が歪んでいくのがわかる。ぽつり、と手の甲に雫。
 目の前の悟浄が立ち上がるのが気配でわかった。
「…悟浄…ここに…いては、もらえませんか?」
 その顔が持ち上げられることはなかったけれど、きっと捨てられた子犬のような寂しい顔をしているのだろうと知れる。
 女に泣かれるのは苦手だが、男の泣く姿を見ているのもどうか、と思う。それに、いて欲しいと言いながら、きっと八戒は同じ心で泣くところなど見られたくはないと思っている。彼は自分にそばにいて欲しいのではなくて、泣くために、自分の髪や瞳が必要なんだろう。
 悟浄はキッチンを出る方向ではなくシンクへと向かう。そこにある果物ナイフに手を伸ばした。最近やっと伸び揃ってきた髪を一房つまみ、少しだけ逡巡する。そして、小さなため息で何かを吹っ切ったようにその髪を切り落とした。
 残酷なのかもしれないけれど…今の自分に出来るのはこれくらいだから…
 テーブルに置かれた八戒の手の上に切り取った髪を置く。今だ濡れたそれははっとするほどに血のように見えて、自分の取った行動なのに、悟浄はそれから目を背けた。
 この血は誰のものなのだろう? 自分の? 自分の屠った1000人もの命の? それとも…失った愛の?
 八戒は手の甲に置かれた一房の髪を握り締め、その手を頬にあてる。
 悟浄がキッチンを出てゆく気配を感じて、堪えていた何かを吐き出すように嗚咽をもらした。
 これはきっと…彼女の血、なのだ…もう、泣けないと思っていたのに、泣いてはいけないと思っていたのに、彼女の血は自分を悲しみへとかき立てる。その血の色を持つ男に、泣くことを許されて…声をあげて、さめざめと、泣いた。

 閉まったキッチンのドアに凭れて悟浄はタバコに火をつけ、不揃いになった髪を指先で弄びながら、その声をいつまでも聞いていた。



「ああ、おはようございます、悟浄」
 珍しく午前中のうちに起きだしてきた悟浄に八戒が笑顔で挨拶をする。その目が、泣き腫らしたようになっているのに気付いたが、あえて無視をしてつまらなそうに片手をあげて見せた。
「うっす…」
「挨拶ぐらいちゃんとしましょうよ、悟浄?」
 当たり前のことを言われたにもかかわらず、悟浄は八戒をにらみつける。深夜、明け方に帰ってきて眠ったときよりもずっと寝不足だ。自分の言動に自己嫌悪を感じてしまって、眠れなかったから…。
 さっき鏡を見たら、赤い瞳の周りの白目が充血していて、目がすべて赤くなっていた。それを、この男はどう思っているのか…。
「コーヒー淹れますね?」
 キッチンへと入ってゆく八戒にしたがって悟浄もキッチンへと入る。
「お前さ…」
 かけられた声に振り向いた八戒を見て、悟浄は結局自分が何を言いたかったか、忘れてしまった。だから、一言、謝った。
「悪かったな…」
「いいえ…ありがとうございます」
 とても爽やかに感じる笑顔。それを見て悟浄はホッとした。そのまま、八戒の横を通り過ぎ、裏口の戸を開ける。
「うっわぁ、いい天気だなぁ…昨日の雨が嘘みたいだ」
 寝不足の目に突き刺さるような青空に悟浄は顔を顰める。その彼に八戒はコーヒーの入ったカップを差し出した。
「悟浄、今日の予定は?」
 いつも思うのだが、この情況でこの質問は夫婦のようだ。そんな自分の考えに悟浄はふきだした。
「何か?」
「い~や、なんでも。今日は昨日負けたカードのリベンジと…お前に揶揄されたからなぁ、ナンパでもしてくるかぁ」
「成功するといいですね…」
 からかいを含んだ口調に悟浄は眉を上げる。
「なにが、だ?」
「ナンパ」
 辛そうな色もなく笑っている。自分と似ている奴だから、笑っていて欲しいと、そんなことを思うのだろう。


 泣きたい時には泣けばいい、笑いたきゃ笑えばいい。俺たちは自分のために生きているんだから…。





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プロフィール
夏風亭心太


 酒、煙草が好き。
 猫好き、爬虫類好き。でも、虫は全部駄目。
 夜が好き。月が好き。雨の日が好き。
 
 こんな奴ですが、よろしくお願いします。
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