くれないづきの見る夢は 紅い涙を流すこと 透明な血を流すこと 孤独にのまれず生きること
Category:オリジナル
僕は昔から地図が好きだった。地図を見ていれば旅行に行ったような気分にもなれた。両親からは安上がりな子だ、と言われた。
今、自分が安上がりかどうかはよく解らない。日本地図、世界地図、観光地図にゼンリンの地図。あげくの果てには、古びた、けれども一目で偽物だと解るような徳川埋蔵金の地図まで、地図と名の付く物なら何でも手に入れなければ気が済まなくなっていた。
古書店の並ぶ町の裏通りの一角。今まで気づかなかった小さな店があった。そして、その店で見つけた地図は一見、どこにでもあるような古びた地図だった。だが、その地図が僕を呼んでいる様に感じていた。その感覚はたいがい正しい。自分の手元にそれがないことを頭のどこか一部で絶えず理解している、ということなのだ。
今回も、その感覚に従って地図を手に入れることにした。そうそう高い物ではなかったので躊躇もせず、僕は当然のことのようにそれを求めた。
「あんた、その地図で山歩きをなさるんかい?」
店番に座っていた老婆が僕にそんなことを聞いた。どうせ、古い地図だから当てにならない、とでも言いたいのだろう。よっぽど、見れば解るよ、と言ってやろうかと思ったが、それはどう見てもただの古地図で山岳地図には見えなかったので、思わず聞いていた。
「山歩き? これ、どこの山の地図なんだい?」
老婆は僕の顔をまじまじと見て、そんなことも解らないで買おうとしているのか、とでも言いたげな顔をした。
僕はもう一度地図をよく見る。曲がりくねった道に住所と名前らしきものがミミズののたくったような字で書かれているそれは、僕にはどう見てもどこかの田舎の村の地図にしか見えない。描かれる道幅からすると村のようだが、その戸数の多さと古びた字体から、かなり昔の物だと、僕は理解していたのだが…。
「そいつはね、樹海の地図なんだよ」
老婆がやっと教えてくれた。
「樹海? 樹海ってあの富士の裾野のあの樹海かい?」
僕がそう問い返すと、老婆は大きくうなずいて見せた。そのもったいぶった様子に僕は苛立ちを覚えたが、そんなことよりも目の前の地図のことが気になってしょうがなかった。
富士樹海の地図。それなら、僕も持っている。言われてみれば、その道筋の描く模様に、見覚えがないこともない。だが、樹海の地図に、住所らしき文字の羅列や、名前が書かれているのはなぜだろう。
そんな疑問が表情に出ていたのだろう、老婆が僕の顔を見て、薄笑いを浮かべたようだった。その表情に背中がゾクリとする。
「そこに記されておるのは、あの森で死んだ連中の名前だよ。よく見てみろ」
言われるままに、じいっとそこに書かれている文字を見ていると、やがてその文字がなんとなく理解できるようになった。『東京都』『神奈川県』『山梨県』『大阪府』、『沖縄県』『北海道』などと記されているものまで……結構多岐にわたっている。皆が皆、そこを死に場に選んで来た訳ではないだろうが……。
僕は急にそれが薄気味悪くなる。老婆の顔とその地図を見比べ、それを我が物にすべきかどうか悩んだ。
死者の住所や名前を控えた地図、誰の物だったのだろう? 僕にしては珍しく、前の持ち主のことまで気になってしまう。だが、地図マニアの僕としては欲しくないと言えば嘘になる。
実際、僕は突拍子もない地図も持っている。過去、事故のあった所ほぼすべてに印の入った道路地図や、殺人現場に印をつけた地図。だが、それらだってここまではっきり、自宅番地まで記された物ではなかった。
老婆はそうやって逡巡する僕の顔をおもしろい見世物か何かのように眺めている。その顔に、お前はこんな気持ちの悪い物を買って帰るような度胸はないんだろう、と嘲っているような笑いを見た気がして、気がつくと僕は老婆の前に記されているだけの金額の紙幣を置いていた。
「いいかね、忠告はしたよ。その地図で山歩きなぞ、するんじゃないよ」
薄気味悪い老婆の笑いに見送られて、僕はその店を後にした。
それからしばらく、その地図のことを忘れていた。僕は手に入れた地図を定期的に開いては眺めるのを楽しみにしているが、さすがにその地図を開いて眺める気にはなれなかった。
その地図を開いてみようという気になったのは、ニュースで樹海に不明者の捜索が入ると言っていたためだった。 ふとした気の迷いなのだろう、その地図に名前までは分からなくても、不明者の発見された場所ぐらい記してみよう、という気になってしまったのだ。
地図を開いてみて、僕は違和感を覚えた。購入した時に見たものと、どこか違う気がする。
記入されている名前が増えている……?
そんなことはあり得ない、と否定する。少し疲れているのかな、と僕は自分自身にそう言い聞かせた。
捜索は明日の朝から入るのだと言う。早ければ、明後日の新聞に何か情報が載るだろう。インターネットを調べれば、詳しい場所もわかるかもしれない。
どんな地図でも、地図で何かをすると考えると、わくわくしてしまうのを押さえられない。そんな思いで、僕は新聞と地図を広げた。
そして我が目を疑ってしまう。記入されている名前が、明らかに減っているのだ。
それをどう捕らえるべきか……。僕は恐ろしくなって、その地図をただ眺めていることしかできなかった。
その翌日、僕はそれを店に返品しようと思い立って、老婆の店を探した。
この辺りだったはず……僕は見当をつけた辺りを歩き回ってみたが、その店を見つけることはできなかった。
店があったと思われる辺りは小さな路地で、いくら探しても建物すらなく、その辺りを歩いている人に聞いても、そこには最初から店などなかった、と言われるばかり。
持っている地図は、さらに薄気味悪さを増したようにも感じられ、店を見つけようと焦れば焦るほど、気持ちの悪い汗をかくばかりで、僕はすっかり疲れてしまった。
捨ててしまおう、焼いてしまおう、そんな思いが心の中を過るが、どんな理由があれ、そのコレクションの対象を傷つけることなど、コレクターである自分にはできないことであるということも十分にわかっていた。
どこかで買い取ってもらおうにも、ただ古びただけの地図では引き取ってくれるところもない。
僕は仕方なく、それを持って帰るしかなかった。
疲れからか、その夜、僕は変な夢を見た。
それは一見、普段よく見る夢のように始まった。
地図を見てその町を想像し、夢の中で歩く。いつものように。けれど、歩いたのは樹海……。
僕は遠くに富士を見ながら森の中を奥深くまで進んで行く。
手元の地図を見る。有るか無しかの道を、行き先を知っているかのように進んで行く。
目指しているのは……記された名前の場所。そして僕はそこに……。
自分の悲鳴で目が覚めた。現実味がまったくないくせに、妙にリアルで……。そして、僕はその地図の秘密を知った。
もう頭の中にはそれのことしかなくなっていた。人間心理として、怖い物見たさなのだろう。
徐々に増えてゆくその書き込みを、僕は二年間もの間、じっと見守っていた。気をつけて見ていると道も出来たりなくなったりしているようだ。
一体、この地図はどうしたものなのだろう……? 疑問は募るばかりで、僕はとうとうその地図を持って樹海へ向かうことにした。
地図を片手に樹海に入る。地図で見る限り、一番近い記名場所まで二時間。
さすがに一人で行くのには抵抗があったので、友人をトレッキングだと言って誘った。
「正確な地図を持っているから大丈夫。片道2時間ほど歩いたら、帰路に着くから。それなら安心だろう?」
樹海だと聞いて渋っていた友人も、僕の地図マニアぶりを知っていたのでそう聞いて安心したように、トレッキングに付き合うと言ってくれたのだった。
天気の良い日曜日、僕と友人は二人で樹海へと入り込んだ。友人は僕が地図を見ながら迷う風もなく歩を進めるのに付いてくる。
そして二時間後、僕は見つけたいものを見つけていた。
友人には気の毒だったと思う。僕たちは警察を呼んで話を聞かれて……。
落ち着いてから地図を見ると、案の定、その場所から記入されていた名前が消えていた。
やがて僕は商売を始めた。そんな商売など成り立つ訳はない、と半信半疑だったが、やってみると、結構儲かることが分かった。
樹海トレッキングツアー。僕と出掛けると、必ずと言って良いほどそれを見つけた。当たり前と言えば当たり前だ。僕はそこへ向かう地図を持っているのだがら…。人間の心理とは不思議なもので、そんな噂が広まれば広まるほど、ツアーの客は増えていった。
地図のことがばれるのを恐れて、マスコミ関係の仕事はすべて断った。あまり何度も続くうち、警察も不審に思いだしたらしい。しばらくして、僕はツアーガイドをやめた。
そうして、次に始めたのは、不明者捜索の訪問販売だった。
地図に記載される文字は、名前と住所。地図に記された住所を訪ねて家族に会い、探すことを望んでいるのであれば、話を持ちかける。
死人を飯の種に、僕は生活を続けた。胸の悪くなるような物を幾つも見たが、やがて慣れてしまって僕は何も感じなくなっていた。何が恐ろしいと言って、そうやって感覚がマヒしてしまうのが一番恐ろしかったかもしれない。
僕は久しぶりに夢を見た。地図で街を歩く夢…。
地図には誰かの名前が書かれてあった。どうやらよく知っている人物のような気がする。
いくら見慣れたとは言え、知人のを見るのは勘弁だな……とか思いながら、僕は足を止めることが出来ない。
心のどこかで、それは夢なのだ、と理解している。
そしてそこで見たものは……。
目が覚めると肝心な部分を全く覚えていなかった。僕は夢の中で誰の死体を見たのだろうか?
その日も、僕は依頼で……訪問販売で、と言った方が正しいか……樹海に入ることになっていた。
いつものようにアシスタントの青年と二人、樹海へと分け入る。良い天気だった。いくら慣れたとは言え、どんよりとした曇りの日に樹海に入ることはしない。山の天気は変わりやすいし、薄暗い中での死体とのご対面もあまり嬉しいものではないからだ。
地図を確認しながら歩く。アシスタントの青年もよほど神経が図太いのだろう、毎回死体を見ているが、今も「良い天気ですねぇ。トレッキングには最高だ」などと言いながら呑気に僕の後ろをついて来る。
僕は少し立ち止まって、地図をじっくりと眺めた。僕たちがこれから向かおうとしている方向に何やらシミが浮き出しているように見える。
そこで誰かが死のうとしているのか、死んでいるのか……。地図の記入がどの段階でなされているものなのか、僕にはこれまで調べることは出来なかった。不謹慎にも、それを調べる良い機会だと思ってしまい、僕は足を速める。地図を見ながら、足元を確かめながら……。
……………? 地図に記された場所を過ぎても、僕は死体にも生きた人間にも出会わなかった。どうなっているのだろう、と地図を穴が空くほどに凝視する。読み取れるようになった地図の文字は………。
「おいっ! そこを通るな!」
僕の制止は一瞬遅く……アシスタントの青年はツタに足を取られて転び、その場にあった大きな石に……くぐもったようなうめき声がその口から漏れ……。
地図には彼の名が浮かび上がっていたのだ。
僕は恐る恐る彼に近づく。その体はピクリとも動かない。
脈を取ってみる勇気は僕にはなかった。ただその場から去りたい一心で闇雲に走った。
苦しくて苦しくて、息が詰まりそうになり、僕は走ることが出来なくなって膝を付く。
しっかりと握り締めていた地図を開く。あまりに必死に走ったので、自分が今どこにいるのか、わからなくなったのだ。地図を見て、周囲を見回して、自分のいる位置を確認する。
大体の位置を把握した所で、僕は地図上にまたシミを見つけた。
虚ろな目で空を見上げて死んだ青年の顔が思い浮かんだ。
もう、たくさんだ。もう、帰ろう。樹海を出たらこの地図は燃やしてしまおう。僕は樹海を出るために歩きだす。
足元を見ながら、ゆっくり確実に道を辿る。
目の前に、二本の足がぶら下がっているのを認め、僕は足を止めた。
地図を確認する。そこに死体はないはずだ。だが、目の前にある足の持ち主は……目をあげると、どこかで見たことのあるような老婆が木にぶら下がって僕を見下ろしていた。
「ちゃんと忠告はしておいただろうに……。その地図で山歩きをしてはならん、って……」
首を吊って、当然死んでいるはずの老婆が口を開いて、にやにやと笑って見せる。そう、地図を売っていた老婆だ……。
その老婆を見ていてはいけないような気がして、僕はもう一度地図に目線を落とす。
シミが、何とか読み取れる字を描き出していた。
そこには、僕の名前……。
狂ったように僕は走る。一刻も早くこの森から出るんだ。老婆の忠告を無視した結果がこれなのか…。
真っすぐに樹海の出口に向かっていたはずなのに、僕はもう、今、自分のいる所を把握することが出来なくなっていた。
大きな穴が口を開け、僕を待ち構えている。
そう、それは昨夜、夢で見た光景……。
僕はその穴に落ちる。
地図が僕の名前を刻んでゆくのを眺めながら、恐怖とともに僕は死ぬのだ……。
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酒、煙草が好き。
猫好き、爬虫類好き。でも、虫は全部駄目。
夜が好き。月が好き。雨の日が好き。
こんな奴ですが、よろしくお願いします。
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