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くれないづきの見る夢は 紅い涙を流すこと 透明な血を流すこと 孤独にのまれず生きること
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ホームズが見慣れない拳銃を磨いている。それは英国製のものではないらいしく、従軍以来銃に興味を持っている私にも物珍しさを与えるものだった。
「君は随分とこれの事が気になるようだねぇ」
 私を見上げもせずに、彼はそう声を掛けて来た。実際の所、私は本を開いてみたものの目は飽きることなく、彼の手元を眺めていたのだ。彼は顔を上げると、私にその銃を差し出した。受け取るとそれはずっしりと重く、綺麗に磨かれた銃身に私の顔が映っていた。随分と使い込まれたものらしく、グリップやトリガーは黒光りしていた。
「アメリカ製、コルト社、だな」
 私はそれをホームズに返して言った。
「ご名答。さすがに君は銃を使うだけあって詳しいね。これは、友人の形見なんだ」
 そして彼はパイプに火をつけると昔の話を始めた。
「もう20年になるかな。君と出会う1年ほど前のことだったよ。当時はまだ、探偵業が軌道に乗ってなくて、色々なことに手を出していた。役者をしていたのもその一つだったんだが、その劇団がアメリカで興行することになったんだ。僕がそれについて行ったのは、勿論役がついていたからなんだが、そう、見聞を広めるいい機会だと思ったからでもあるんだ。だから、公演が終わった時、それ相応のギャラを貰って別れ、アメリカという国を見て歩く事にしたんだよ…」
** *** **

 幌馬車が荒野を走っていた。カウボーイや医者、牧師などといった土地の人間に混じって、外国人とわかる男が一人乗っていた。彼は旅行鞄と小さな楽器のケースを抱え、目の前の女と子供を見ていた。
 男の灰色の瞳と目があって女は慌てて俯く。それは何の危惧もない日常的な風景であった。
 銃声が聞こえ、馬車が不自然に揺れる。
「山賊だ!」
 不意に日常が途切れ、その馬車は不運に襲われた。御者の叫びで女たちは子供を抱え、男たちは応戦すべく銃を取った。
 馬車の中から外を見ることは出来ず、応戦しようと外に身を乗り出した男が転落する。外国人もそれを手伝おうと自分の銃を荷物から取り出すが、アメリカという国では実用性に乏しい、小さな銃だった。それでも男は勇敢に御者台へと身を乗り出し、銃を連射した。
 あっという間に弾は撃ち尽くされ、銃は大した役にも立たなかったが、男はその馬車にこれから降りかかる悲劇を少し後に延ばすことは出来た。
 男の目の前で御者が転落し、咄嗟に彼は手綱を取った。銃声に驚いてめくらめっぽうに走る馬を操るのは難しかったが、それでも男は夢中で鞭を振るい続けた。何度か投げ出されそうになりながら、すぐ近くを銃弾が掠めるのにも構わず、男は馬を走らせ続け、たくさんの被害者を出しながらも、馬車は山賊を降り切った、かに見えた。
 男が速度を落とそうと手綱を少し引いたとき、ガタッと嫌な音がして車輪が外れた。馬が横転し幌馬車も横倒しになり、半分立ち上がるようにして馬を操っていた男は遠くへと投げ出されてしまう。
 頭を強く打ったらしく、朦朧とした意識で男が見たものは、山賊の餌食になった馬車の姿だった。女は山賊の馬に無理矢理乗せられ、男や子供は一人一人丁寧に銃を押し当てられ、殺される。
「やめろ!」
 男は叫ぼうとしたが出来ず、二三歩そちらに近づくとそのまま意識を失った。遠くに山賊のものとは違った銃声を聞きながら…。

 パチパチと何かがはじける軽い音がして、男は意識を取り戻した。横に火が燃えており、彼が聞いたのは薪の弾ける音だった。辺りはすでに暗く、火の向こうには、人のいる気配があった。
「まだ、起き上がらないほうがいいぜ。頭を打ってるようだからな」
 火の向こうの誰かが声をかけてきた。男の頭には包帯の代わりにかバンダナが巻いてあり、その人物のものだろう、上着が頭の下に敷いてあった。
「あんたは運が良かったぜ。馬車に乗ってた他の連中は、みんな連れ去られるか、殺されるかしちまったからな」
「私は手綱を握っていて、投げ出されたんだ」
 男は起き上がろうとして、火の向こうの人物が手を貸そうと回ってくる。
「そりゃ、本当に運がいいんだな。馬車から投げだされて骨折もしてないなんて」
 男は意外に若く、二十歳をいくらもすぎていないようだった。とはいっても、助けられた男の方もまだ26になったばかりだったが。
「それでも、俺が行くのが、もう少し遅かったら、あんたも死体の仲間入りだったんだろうけどな」
 彼は小柄で、どこか悪戯っ子みたいなところのある男だった。
「ありがとう、と言うべきなのだろうな…」
 彼に助けられたに違いはなかったが、もう少し早く現れていてくれたら、という思いが素直に礼を言う事を拒んでいた。
「私は、シャーロック・ホームズ。君は?」
 助けられた男は助けた男の手を借りて起き上がると、そう名乗った。
「俺は、ボニー。ウイリアム・H・ボニーだ」
 ここに二人の男が出会った。

 ホームズはボニーに珈琲を貰い少し落ち着くと、荷物を取りに行きたい、と言いだした。
「おいおい、あれから何時間経つと思ってるんだ? 今頃戻ったって、何も残っちゃいねぇよ」
 それはホームズにも良くわかっていた。それでも彼は、何日かの間一緒に旅をしてきた馬車や人物の惨状を見ておかなければならないような衝動に駆られていたのだ。
「もしかすると、何か残っているかもしれない」
 ボニーは軽く首を振るとそれでも何も言わず、火を薄暗いカンテラに移し、木陰から二頭の馬を牽いてきた。
「あんた、馬には乗れるかい・ 生憎と一頭には鞍がないんだが」
 一頭は栗毛、もう一頭は葦毛の馬だった。どうやら栗毛の馬は馬車を牽いていた馬らしく、がっちりとしていて鞍を乗せていなかった。
 ボニーが栗毛に、ホームズが葦毛の馬に乗って、二人は現場へと戻った。
「これは…」
 ホームズが絶句してしまうほどその現場の状況は酷かった。これまで何度か、彼は殺人現場を見ていたにもかかわらず…。死体は狼やハゲタカに食い荒らされて見る影もなく、幌馬車も無残に破壊し尽くされていた。
「誰かに…報せたのか…?」
 ともすれば気が遠くなりそうになるのを懸命に堪えて、ホームズは馬を降りた。満月がその惨状を寒々とした光で浮かび上がらせている。
「いや。ここから一番近い町までだって二日はかかるからな。だからこの辺りは犯罪者たちの絶好の隠れ家になるのさ」
 ホームズはただその場に立っていることしか出来なかった。何かが残っているにせよ、その惨状の中を歩き回るだけの気力がなかったのだ。そんな彼を尻目に、ボニーはいくつかの品物を見つけてきた。弾の切れた銃や、少し変わった形の帽子…。
「おい、一体何を…」
 ホームズは続けてボニーの取った行動に驚いて声をかけた。彼は女性の死体を足蹴にしていたのだ。
「死んだ人間には礼を尽くせ、とでも言いたいんだろうがな、死んだ者は所詮、それ以外の何物でもないんだ。…ほら、これはあんたのじゃないのか?」
 ボニーは退けた死体の下から楽器のケースを引っ張りだした。それは間違いなくホームズのヴァイオリンケースだった。
「死体のスカートの下になってて気付かなかったんだろうな。もっとも、ここでこんなもの、何の役にも立たないけどな」
 ホームズは差し出されたそれを手に取り、安堵したようにため息をついた。
「これが無事だったなんて…良かった…」
「あんまり良くもないみたいだぜ」
 喜んでいるホームズにボニーが忠告した。人の気配はしなかったが、馬が何かを恐れるようにしていたし、よく耳を澄ませば肉食獣特有の唸り声を聞くことも出来た。二人は無言で馬に乗り、その辺りにいるものたちを刺激しなようにゆっくりと歩かせた。
 ボニーがカンテラを地面に叩きつけるのと狼が襲いかかってくるのはほぼ同時だった。カンテラのアルコールが地面に広がり、火の手が大きく上ったのを合図に、二人は一目散に馬を走らせた。

「一番近い町まで俺が送ろう」
 二人が焚き火をしていたところへ戻り落ち着くと、ホームズが言おうとしていた事をボニーが言いだした。
「どっちにしても、何処かの町に定期馬車が襲われたことを報せておいたほうがいいし、あんたを助けたのも何かの縁だ。その縁ついでに送るさ。あんただって、こんなところでほっとかれても困るだろう?」
 言いながら、ボニーはホームズに煙草を差し出し、ホームズは礼を言って受け取った。
「しかし、私にはそれに見合うだけの報酬を支払うことは出来ないのだが…」
 自分から口にするつもりのことであったが、いざ相手から切り出されるとそれを頼んでしまっていいものかどうか、ホームズは悩んだ。
「そんなこと、言われなくたってわかってるさ。あんたが文無しだってことぐらい。別にいいんだよ、俺だって気が向かなきゃこんなこと言い出しゃしねぇんだから」
 それでも、そうしたものかと悩んでいたホームズだったが、結局ボニーの気まぐれに頼ってしまうことにした。強がってみたところで、どうしようもなかったのだから。
「もう休んだほうがいい。明日は一日中馬に乗ってることになるから。慣れてない人間には結構きついぜ?」
 そういうとボニーは焚き火が消えないように木切れを何本か放り込み、その場に横になるとすぐに寝息を立て始めた。仕方なくホームズもそれに倣って身体を横たえたが、到底眠れるはずもなかった。

 翌朝早く、二人は東に向って出発した。結局一睡も出来なかったホームズには荒野の朝日は眩しく、目を細めるようにしながら前を行くボニーの背中を追った。馬の遠乗りには慣れていないだろうホームズを気遣い、自分自身も慣れない馬に乗っているせいか、ゆっくりと何度か休憩を入れながら進んだ。
 見通しの悪い谷間に差しかかった時だった。銃声がして、何頭かの馬のひづめの音が聞こえた。
「やば…」
 ボニーは小さく舌打ちをして腰のホルスターから拳銃を抜く。それに倣ってホームズもポケットから銃を取りだすが、それには弾が入っていないことに気付いて元に戻してしまう。
 彼らは山賊に襲われたのである。ボニーは自分の持っている銃をホームズに差し出した。
「俺が一発撃ったら馬を全速で走らせろ。俺の事なんか気にしないでいいからな」
 小声でボニーはホームズに言うと、荷物の中からもう一丁、拳銃を取り出した。彼らは五人の男たちに囲まれていた。
 ボニーが自分たちの進行方向を塞いでいる男の馬の足元に向かって引き金を引くと、驚いた馬が暴れてほんの少し隙間が開いた。ホームズは馬を走らせてその間をすり抜けた。
 安全だと思われる所まで馬を走らせると、彼はボニーを待つために止まった。そしてずっと握り締めていた銃に目を向ける。それは大きく、グリップなどは黒光りするほどに使い込まれた銃だった。
 銃声が三発、四発…。それは谷間で響き、遠くにも近くにも前からにも後からにも聞こえ、ホームズは慌てて銃を構える。片手だと銃口が下を向いてしまうくらいに重かった。
 急に銃声がしなくなった。ホームズは不安に駆られ、馬を反転させる。
「おい、無事か?」
 その声はボニーのものだった。
「良かった…」
 ホームズが安堵の溜め息を漏らすのを見て、岩陰から出てきたボニーが心外だ、といった表情をして見せた。
「命の恩人の腕はもう少し信用するもんだぜ」
 それ以後この日、彼らは何らかの事件に巻き込まれることもなく、無言で旅を続けた。

 ジリジリと照りつけるような太陽が沈み、涼しい夜の気配が忍び寄る夕刻、二人は小さな川に差しかかり、その夜はそこで野宿をすることにした。
 火を囲んで二人は無言だった。川のせせらぎがその世界のすべての音のようで、時折聞こえる狼の遠吠えさえなければ、ホームズの故郷、スコットランドの夜となんら変わりはしなかった。
 ボニーは煙草を吹かしていたし、ホームズは無事だったヴァイオリンを弾き始め、その物悲しいメロディは辺りに響き渡った。
「どうして私を助けた?」
 ホームズは楽器を下ろすと訊いたが、ボニーの答えは待たず、更に言葉を続ける。
「君はお尋ね者だろう? そうでなければあんな不便な、山賊の巣のようなところにいる理由はないし、あんなにも荒野の生活を知っているはずもない。狼を蹴散らす術を知っていたり、山賊をたった一人で手玉に取ったり…」
「だったら…? 俺をシェリフに突き出すかい?」
 ボニーは面白そうに尋ねた。否定はせず、そう訊いたのだ。自分のことがばれたというのに、彼はその情況をただ楽しんでいるらしかった。もっとも、いよいよ駄目だと思ったらボニーはホームズを殺してしまえばすむことなのだ。だからこそ彼は、自分の正体を知っていながら一緒に行動していたホームズのことを笑っていられた。
「それは…」
 ホームズは言葉に詰まってしまい、訊くのではなかったと後悔していた。
「俺はな、あんたが死体になっていなかったから助けたんだ」
 動揺しているホームズをしばらく面白がってみていたボニーはそれでも助け舟を出そうと、ホームズが最初に発した問いに答えた。
「私には、君がそんなに悪い人間には見えないんだ」
 ホームズは言葉に困りながら、そう言った。実際、彼の目の前で悪戯っ子のような笑顔を浮かべているボニーは無邪気にさえ見えた。
「そいつはどうも…」
 照れて頭を掻いているボニーはやっぱり根っからの悪人というわけではないようだ。
「ああ、そうだ。この銃を返しておこう」
 ホームズは思い出して、昼間渡された銃をボニーに差し出すが、彼はそれを受け取ろうとはしなかった。
「そいつはあんたにやるよ。この国、特にこんな荒野の真ん中では必需品だからな」
「しかし、この銃は大切なものではないのか? 随分と使い込んであるようじゃないか。それに私にはこんな大きな銃を扱えるかどうか…」
 もう一度差し出すが、やはり受け取ってはもらえなかった。
「俺はもう一丁同じ銃を持ってるし、もし扱えなくたって、お守りぐらいにはなるだろう。そいつを抜くだけで肝の細いのは簡単に逃げ出しちまう。何しろそれは俺の名刺代わりみたいなものだからな」
 確かに彼が昼間荷物の中から取り出した銃は同じ物のようだった。そうとはわかっていてもホームズはまだ渋っていたが、ボニーの一言でそれを貰い受けることにした。
「あんた、結構ヴァイオリン、上手いじゃないか。良かったらもっと何か弾いてくれないか。出来れば今度はもっと明るいやつを、さ。それでその銃のお代がわりってことにしとくからさ」
 それにしても、とボニーは思った。いざとなれば殺そうと考えていた人間に自分の銃を渡してしまうなんて…。そんな自分自身が可笑しくて自嘲気味に笑ったが、ヴァイオリンを弾き始めたホームズにはわからなかった。

 翌日は何の事件もなく、二人はだいぶ距離を稼いだが、それでも町までは遠く、夕方から雨に降られたこともあって、二人は雨を避けられる岩陰を見つけるとその日はそこで休むことにした。
「あんた、何をしてるんだ?」
 昼間は無言で馬を進めるため、二人は互いに何の話もしていなかった。
「諮問探偵をしている…とは言っても、一向に芽が出なくてね、生活のために役者をしているんだ。アメリカへも劇団と一緒に来たんだが、公演が終わった後一人別れて、放浪していたんだよ」
 ボニーは煙草を差し出し、ホームズが礼を言って受け取った。
「放浪の旅が随分、とんでもない所まで来たもんだな。どうせ、劇団の公演なんてワシントンとか都会での話しだろ? ここは滅多に外国人の旅行者なんか来ない西部だぜ。治安も悪いし…」
 雨の降る音と薪の弾ける音、それ以外は自分たちの声しかしなかった。
「君は?」
「俺か? 俺は…ニューヨークシティで生まれた。色々あってこっちの方まで流れてきてさ、あの人も確かイギリス人だったな…開拓に来ていた人に拾われて手伝いをしていた、何人かの仲間と」
 今は追われる身の彼は、自分の過去を話し始めていた。それ以外に、彼が話せることはなかった。
「あんた、探偵だって言ったよな。俺も似たようなことをしてた頃があるんだぜ。俺を拾ってくれた人が殺された時にさ。犯人はわかってたんだ。町の誰もが手を出しかねているならず者だった。シェリフでさえ怖れていたんだが、それでも決着を着けなければならない時はすぐに来た。シェリフは助手を集め始め、俺たちは志願した。恩人を殺されて黙っているほど、俺たちは大人しくなかったんだ」
 ボニーは言葉を止めた。雨は強くなっているらしく、耳障りなほどの音がしていた。焚き火にかけた小さなポットがシュンシュンと音を立て、ボニーがそれで珈琲を淹れてホームズに渡した。
「あんた、殺人、ってどう思う?」
 突然の問いにホームズはどう答えるべきか迷いボニーの顔を見たが、彼の表情からはその意図を汲み取ることが出来なかった。
「殺人か…。そうだな、人間は必ず死ぬものだろう、良いにしろ悪いにしろ…。殺人はそれを人為的に早めることだ。だからといってこれも一概に、悪いとも良いとも言えないのではないかな? 実際の所、早くこの世から去ってくれたほうが皆のためになるような人間もいるわけだし…」
 それがボニーの望むような答えであったかどうか、ホームズにはわからなかった。薄暗い明かりの中で、ボニーは微かに笑っているようにも泣いているようにも見えた。
「俺は人を殺してる。最初は12の時だった。それからシェリフの助手をした時。あの時は恩人の仇だったし、英雄にもなれた。しかし、今では殺す側から殺される側に変わってしまった」
 それは彼の過去で、話し終えたはずの話の続きだった。そしてそれは教会でする懺悔のようで、知り合って間もない友人にする話ではなかった。
「しかし、何の理由もなく殺人を犯したりはしないだろう、君は?」
「仲間の仇を討った…命を狙われて返り討ちにしたことだってある。そして、賞金首を狙ったことも…」
「それは正義のための殺人じゃないか。犯罪者を射殺するのだって、仇を討つのだって、ましてや自分の身を守るためならば…。この国ではそれが法律で許されているじゃないか。正義を正義として受け取れるように…」
 その言葉は慰めだったろうか? ホームズにはボニーが悲しんでいるように見えて仕方なかった。
「正義のための殺人、か…。だからって、殺人が殺人でなくなるわけはないのに…。本当に正義だというなら、どうして俺は犯罪者になったんだ? 確かに一時期調子に乗ったこともあったさ。でもそれだって、法の範囲内のことだったのに…。殺人が一人の人間の命を奪うものである以上、その人間の死の影には必ず悲しむ人間がいる。そして、殺人はあくまでも罪であり、正義にはなり得ないのではないだろうか…」
 ボニーは正義というものを信じてはいないようだった。過去の経験と、現在の逃亡生活が彼にそう思わせようと仕向けたのに違いあるまい。
「だからって、大人しく殺されるつもりはないし、仲間の死を放っておけるほど冷淡じゃなかった。そして、生活のために賞金首を狩ることをやめることなど出来るはずもなかった。俺だって生きなくてはならなかったんだから…。たとえ、死と隣り合わせの生活であったとしても、俺はそれを選んだんだからな」
 それは育った環境の違いか、その生い立ちのせいか、ホームズは正義のための殺人は存在すると言い、ボニーは殺人はどんな情況においても罪であると言った。
「大体、正義なんてのは誰が決めるんだい? たとえ法が守ってくれたとしても、殺される者やその家族にとっては常に悪であることにかわりはないんだ」
 ボニーは肉親を殺されたことがあるのではないだろうかと、ホームズは思った。それなのに彼は、敢えて殺人者としての道を選んだのだろうか…?
 ボニーの言葉は後々までホームズを悩ませるのである。

 翌日の夕方、二人は町が見えるところまで来た。
「もうすぐだな」
 そう言ってボニーは馬から降りる。
「俺はここで別れる。町に入ったらすぐにシェリフの所へ行け。ここのシェリフは結構親切だから、きっと助けてくれる」
 ボニーは出来るだけ町には近づきたくないらしかった。もっとも、町に行っても騒ぎを起こすだけだろうから、それは正しい判断だったが…。
 ホームズも降り、二人は馬を取り替えた。ボニーが自分の馬に荷物を積む間、ホームズは待った。それからお互いに向かい合い固く握手を交わす。
「ありがとう」
 今度はホームズも何の抵抗もなく礼を言うことが出来た。
「気をつけてな。あんたが無事に国へ帰れることを祈ってるぜ」
 二人は手を離し、ボニーは馬に乗った。
「また逢おうぜ。無事に国に帰れたら、また訪ねて来てくれよな」
 そしてボニーはホームズに手を振りながら夕日の沈む荒野へと馬を走らせた。
 ホームズは彼の後姿が大きな夕日の中に消えて、その夕日が沈むまで荒野を見ていたが、やがて町へ向って馬を歩かせた。
** *** **

「その町で逢ったパット・ギャレットというシェリフはボニーの言った通り親切な人で、僕は大した苦労もなく帰国することが出来た。それから暫くして…僕は彼が殺されたことを知った。再会を約束しながら、僕は結局彼に二度と逢うことは出来なかったんだ」
 長い話の間に、彼のパイプの火は消え、彼はもう一度パイプに火を点けた。
「ワトスン、君は殺人というものをどう思う?」
 いきなりホームズが訊いた。それは過去に彼自身が受けた質問ではなかったか? 私はその時の彼ほど答えに苦しまなかった、と断言することが出来る。
「罪だね。どんな理由があろうとも許されざる大罪だ」
 彼は大量の煙と共に溜め息を吐いた。
「しかし、君は戦争に行っている。そう、君自身は人を殺したりはしなかっただろう、医者として従軍したんだからね。それでも君は、ヒトを殺しているんだよ」
 何故ホームズはそんなことを言い出すのだろうか。事実、私は手の施しようがなく人を死なせてしまったという経験も少なからず持っている。だからといって…。
「僕が言っているのはね、君が救った兵士たちのことなんだよ。彼らは傷が治るとまた戦場へ戻って行っただろう。敵を殺すため、時には自分が死ぬために…」
「しかし、それは…」
「そう、国のため、だったはずだ。一人殺せば犯罪者で多くの人間を殺せば英雄。戦争なんてそんなものだろうし、それならば、戦争というのは正義のための殺人と言ってもいいのではないかい? 国のため、以外にも正義はあるべきだし、だったら…。僕はね、アメリカの法は良く出来たものだと思うよ。殺人が正義として認められている。君はそうは思わないかい?」
 私には答えることは出来なかった。いくら彼がアメリカの法律を良く出来たものだと認めていたとしても、我々がこの国、イギリスという国に住んでいる以上、この国の法律に従うしかないのだ。
「ワトスン。僕たちは一緒に事件の解決に当たってきたよね。そして、多くのことをしてきた。半年ほど前には家宅侵入をして、その上殺人を目撃したのを黙っていただろう。あれは誰かがやらなければならないことだったんだし、あの女性には復讐でも、世間一般には正義だった。それ以外にでも、僕らは犯人を見逃してきた事もあったし、色々な罪を犯した事だってあったはずだ。それでも君は、殺人だけを大罪と言えるのかい? 君自身もその片棒を担いでいなかったとは言い切れないのに…」
 それでも私は、殺人とは大罪である、と言うしかなかった。私はこのイギリスで生まれ育ってきたのだし、そして、医者という人命を救う職業に就いているのだから。
「僕は殺人を犯しているんだよ、8年前にライヘンバッハの滝で。あれは確かに正当防衛だったさ。そして、奴が生きていればあれから先も、何十何百の人間が苦しむことになったろう。そう考えた時、その行為は犯罪から正義へと変わったんだ。僕はアメリカから帰って、ずっと彼の言葉が心のどこかに引っかかっていた。今でも気にならないと言えば嘘になるけど、僕は僕の思うようにしか動けないし、今更考え方を改めるなんて出来ない」
 私に自分の考えが変えられないように、彼にもそれは無理なのだ。私に出来ることといえば、せめて、彼が犯罪者として追われることがないように見守るだけなのだ。
「僕はライヘンバッハで消えた後、アメリカへも行ったんだ。どんな形にせよ、殺人者となってしまった僕は、ボニーの墓の前で一言告げた。正義のための殺人は存在する、と…」
 ホームズは犯罪者になるには優しすぎる人間なのだ。だからこそ、その能力を犯罪ではなく、それを裁くほうに使っているのだし、正義、という大義名分が必要なのだ。
「ところでワトスン? 君もボニーを知っていると思うんだが、わからないかい?」
 ホームズは暗くなってしまった話を明るいものに置き換えようと、悪戯っ子のような笑みを浮かべて私に言った。それでも、ボニーという友人の話からは逸れたくないようだった。
「さぁ…?」
 私は首を捻った。確かに聞いたことのある名前だとは思ったのだが…。
 そんな私に、ホームズはもう一度銃を貸してくれた。
「グリップをよく見てみたらいい」
 そうヒントまで与えた彼は、面白そうにニヤニヤと私を見ている。その態度に少しむっとしながらも、私は言われた通りにグリップに視線を落とした。
 そこには、磨り減って読みにくくはなっているが、何か文字らしいものが彫ってあった。
「…B…I…LL……Y……ビリー…? ビリー! 君は彼に逢っていたのか!」
 コルト41『サンダラー』を使い、その生涯を通して殺した人間の数は、死亡した年齢と同じ21人。
 1899年7月14日、シャーロック・ホームズが友と呼んだ男は、ビリー・ザ・キッドだった。

 このアメリカの好漢は彼と意見を別にしながらも友と呼ばれた数少ない人物の一人なのである。






 日本シャーロック・ホームズ・クラブ 関西支部 西筑摩書房刊 「ホームズのクリスマス年鑑 1993」より。
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